2003年6月4日BBL概要

世界銀行の開発戦略

6月4日、ワシントンDC開発フォーラムBBL「」が約40名の出席を得て行われました。

冒頭に原田有造氏(世界銀行日本理事)より、世界銀行の開発戦略の主要点(貧困削減、投資環境とエンパワメント等)、その背景(過去の開発の経験等)、世銀の役割(融資機関か政策アドバイスか等)、日本の果たすべき役割について問題提起があり、これを受けて開発戦略の実施、貧困削減の評価、ミレニアム開発目標(MDGs)への姿勢等につき意見交換が行われました。概要は次の通りです。

1.冒頭プレゼンテーション(原田有造氏)

(1)はじめに

本日は、世銀の開発戦略という、ある意味で大上段に振りかぶった題で話をすることとなった。私は3年前に世銀日本理事として着任したが、世銀では、その直後にまとまった戦略の議論を行って戦略枠組み文書をつくり、それを踏まえて毎年各年度の予算の前提になる具体的な戦略についての議論をフォローアップの形でやっている。

まず、世銀の開発戦略の内容を説明したい。特に、戦略の背景や考え方、そして如何なる論点を考えながら取り組んでいるかをお話ししたい。本日は世銀の開発戦略自体を中心に議論したいが、本フォーラムは日本の関係者を対象としており、また私も日本を代表しているので、日本の取り組みについても言及したい。


(2)世銀の開発戦略の主要点

(イ)世銀の活動目的

世銀の究極の活動目的は貧困の削減であるとされている。具体的には、現在国際的に合意された目標と整合的に活動しなければいけないという考え方をしている。その目標とはミレニアム開発目標(MDGs)であり、2015年までに世界の貧困を半減するとともに、主として保健教育分野での目標を主として2015年までに達成するとの目標を掲げている。

(ロ)投資環境とエンパワメント

世銀として、それを実現するために、2本柱(two pillars)を提示している。第一の柱は、投資環境である。貧困削減のためにはその国の経済を成長させる必要があり、そのためには投資が必要である。投資は海外投資のみならず国内投資も当然含まれる。そのような投資を促進するための環境をどう作っていくかが一つの課題である。具体的にはガバナンス、制度、より具体的には法制度、規制のあり方といったことが重点となっている。この中には、特に最近の議論として、インフラの整備も重要な要素として入っている。

第二の柱は、貧困層に直接照準を当てた政策であり、エンパワメントという言葉を使っている。具体的には、貧しい人にパワーを与えるということである。これは、アマティア・セン教授が言っている「自由としての開発」という考え方が影響していると思う。そこでは、教育、保健を重視する政策、特に重要なのは貧しい人たちが政策決定に参加する参加の要素が強調されている。以上の2つが世銀の開発戦略の柱であると整理されている。

(ハ)包括的開発枠組み(CDF)

更に、戦略として重要な点としては、国のレベルでの実際の実践を重視していこうというものである。このために、包括的開発枠組み(CDF)を90年代後半に作った。CDFとは、開発の枠組みを包括的に考えていこうというものであり、DACの新開発戦略と共通した要素がある。そのポイントはオーナーシップとパートナーシップである。国レベルで当該国のオーナーシップに従った政策、支援を様々なパートナーと協力してやっていくという基本戦略である。特に貧困国ではPRSPをその国の開発戦略の中心となるように作ることとしている。これは貧困国の間では一般的になっているが、中所得国においても世銀の考え方
としてはCDFを基盤としている。

(ニ)選択性(世銀の役割分担)

開発戦略を議論する際に強調されたのは、選択性(selectivity)である。これは、世銀が何でもかんでもやろうとするのではなく、世銀がやるべき、あるいはやったら一番効果が出るものをやっていこうというものである。国レベルの重視とも結びつくものであるが、国毎に国別支援戦略(CAS)があり、その国に対して一番適切な支援の戦略を世銀として考え、その戦略の中で選択性を国レベルで実現しようということが具体的な方策となっている。このために、他のパートナーとの協力も考えなければいけないので、後刻の論点で取りあげるが、他の機関との協調が課題となっている。

(ホ)結果重視アプローチ

更に、特に最近の課題となっているが、結果重視である。どれだけ支援をした結果が実際に出ているかを具体的に計測して、結果が出るように政策手段を総動員していくという考え方が出てきている。この問題については再来週(6月16日)に本フォーラムで取り上げられる予定と聞いている。


(3)世銀の開発戦略の背景

(イ)過去の開発の経験

以上が世銀の中で議論されている開発戦略の中核であるが、これらにどのような背景があるのか、特にこの戦略はどのようなものを否定して形成されたのかをお話ししたい。

本年1月29日に本フォーラムに初めて参加した際、小和田恒氏が開発戦略について話をされたが、これを受けての昨日ベトナムの服部則夫大使との「論争」が丁度昨日にメーリングリスト上で回覧され、非常に興味深く拝読した(注:本フォーラムのウェブサイトにも掲載済)。特に小和田氏の話で興味深く、私にとって新しい見方と感じられたのは、背景として東西冷戦構造の変化、東西問題と南北問題の交差という視点から捉えていたことである。世銀での議論では、そのような地政学的、政治的な動きはあまり意識されていないように思う。これは、私が昔から開発戦略をフォローしている訳ではないので、そのような印象を受けているのかもしれない。

世銀から見ると、一つの背景は、「過去の開発の経験」である。「世銀が設立されてから50年以上経っているが、実際に開発途上国で開発は進んでいるのか。」という厳しい批判・議論が、特に90年代初めに「50 Years is enough」という世銀批判グループ名に代表されるような形で展開された。途上国と先進国の格差はむしろ大きくなっており、50数年間世銀・IMFを中心に取り組まれてきた開発は途上国のためになっていないという考え方も見られた。

これに対する回答として、必ずしもそれは正しくなく、全体として開発効果が上がっているという研究に基づいた反論もしている。しかし、世銀としては、いずれにせよ途上国の貧困問題を正面から直視し、それをどう解決していくかについて、組織の中心的な課題にする必要があった。それが貧困削減を中心に置く世銀の開発戦略が打ち出された一番の問題意識だと思う。

(ロ)貧困削減と成長

以上の点は、おそらく本日の出席者にとっては違和感がないと思うが、日本の中には違和感を持つ人もいると思う。開発の目的として貧困削減を掲げると、成長が「お留守」になるのではないかといった、成長と貧困削減は対立するという受けとめ方が見られる。

これに対しては、国際開発コミュニティ全体の考えと言ってもよいと思うが、「貧困と成長は対立する概念ではなく、貧困を考えた場合に重要な要素として成長がある」という位置づけが、明確に世銀の開発戦略となった。だからこそ、2本柱の1つは経済成長のためにどのようにすれば投資を促進できるかという点に充てられている。

この問題は、理屈というよりニュアンスの差という面がある。世銀と一言でいっても、国によって、人によって、哲学、経験等によって受けとめ方に差があるが、世銀全体の戦略という観点から見ると、かなりバランスのとれたところにきているのではないかと思う。

(ハ)貧困の分析とエンパワメント

世銀の開発戦略のもう一つの背景としては、貧困は所得の問題だけではなく、それを超えた問題があるという、貧困をどうとらえるかという議論が発展してきたことが挙げられる。それが2本柱の1つとして、エンパワメントという形になってきている。

世銀には、世界開発報告(WDR)という世銀の研究面での中心的な出版物があるが、そこでは10年に1回貧困を取り上げており、前回は2000年に出された。その中で、貧困におけるエンパワメントの側面が提示されている。貧困の要素としては、収入と並んで、貧困層の人達が実際にパワーを持って生活できることの重要性が、様々な側面から分析されている。また、「貧困者の声」という貧困層に対する体系的な調査により、貧困者が何を求めているかを分析した研究も出された。このような検討から、貧困は単純な問題ではなく様々な要素があり、それを一つの概念としてエンパワメントにまとめるということになった。このように、貧困に対する分析と考え方が過去約10年に深められていることが、昨今の世銀の開発戦略の背景にあるという印象を受けている。

(ニ)オーナーシップとCDF、PRSP

CDFの下で、オーナーシップが強調されてきている。これは、過去の開発の経験から、まずその国の政策と制度がしっかりしていなければ、いくら援助しても効果がなく、効果が出る形で援助するには、その国が自分の問題としてオーナーシップを持って開発に取り組むことが重要と認識されてきたからである。そして、その過程で様々な層、特に貧困層を参加させることにより、オーナーシップのある政策を実施していくことが重要というコンセンサスが形成されてきた。これは、具体的にPRSPの中で一番うまく機能していると思う。これが世銀の戦略の背景になっている。


(4)世銀の役割

(イ)政策アドバイザーか融資機関か

次に、世銀業務についての論点を幾つか説明したい。世銀の戦略を以上のように説明すると、世銀の主な仕事は途上国に対する政策のアドバイスと思われるかもしれないが、世銀は基本的には銀行であり、融資という形で途上国を支援している。世銀の融資機関としての性格をどの程度維持すべきなのか、アドバイザーないし「知識銀行」としての役割の方が重要なのかについて、世銀内でも議論されている。

これに対する答えは、当たり前という印象を受けるかもしれないが、(a)基本的には融資機関としての性格を保つべきだが、(b)融資は単に融資のみならず重要な要素としての知識移転を伴っており、(c)融資を支援するものとして、融資活動ではない技術協力も世銀として行う必要があるということに落ち着いてきている。

(ロ)プログラム融資かプロジェクト融資か

これに関連して、融資の方法として、(a)プログラム融資(具体的には調整融資)と、(b)具体的なプロジェクト融資・インベストメント融資のバランスをとるべきかが議論されている。政策という観点からは、直接的な影響を与えるプログラム融資が良いという議論が強力になされているが、実際にその国に必要な知識を移転する手段としてプロジェクト融資は非常に重要である。例えば、高速道路に融資すると、高速道路システムを作り運営する過程で政策的な問題が生じるので、世銀が融資し監督する過程で政策当局者に知識を移転できる。あらゆるプロジェクト融資についてそのような要素があり、かつこれま
で成功した世銀の途上国の支援の形態はプロジェクト融資が多い。その過程でガバナンスや制度、政策も伝達される。このような議論が最近強くなっている。具体的には、インフラ・プロジェクトにもっと世銀は融資すべきという意見が強くなってきている。


(5)日本の果たすべき役割

ここで、日本との関係について一言申し上げたい。今の話の全体の流れや、小和田氏・服部氏の議論から理解いただけると思うが、日本が目指すべきものと、世銀が考えていることに、それほど差がないのではないかというのが私の基本的な認識である。

ただし、先ほど申し上げたように、ニュアンスの差はある。日本の今の考え方は、成長の重要性を強調する立場であり、これは強く主張すべきことだろうと思っている。具体的には、インフラの重要性について、アジアでの開発の経験とも関係する形で訴えるのが良い。

また、地域としては、アジア重視を強調する。ただし、この点は程度問題であり、日本はアフリカやラテンアメリカを軽視すべきかといえば、決してそれは日本のとるべき政策とは考えられない。若干の優先順位の違いと思っている。

また、先般吉村副総裁より、世銀と日本との関係について、ワシントン・コンセンサスをどう考えるのか、日本はワシントン・コンセンサスとは違うという議論があった。一般論としては私もそういう面があるというようには思っているが、ワシントン・コンセンサスとは何かはよくわからないところがある。John Williamsonがラテンアメリカの70-80年代の反省を踏まえ、今のコンセンサスはこのようなものと言ったのが始まりとされている。これは、ワシントンから押し付けるコンセンサスではなく、たまたまワシントンで開催された会議
で得られたコンセンサスということだったようである。ワシントン・コンセンサスの中身としては、マクロ政策の安定化のみならず、オーナーシップの重要性も言っている。ただし、新古典派的、市場経済的なものを重視しているという点が、その後ワシントンから押し付けるコンセンサスという意味で捉えられていると思う。

私は一般的にいうワシントン・コンセンサスを巡る議論で重要なのは、(イ)押し付けるのではなくオーナーシップが大事という要素、(ロ)政策・改革にはものの順序が重要であるという要素、(ハ)更にオーナーシップとも関係するがその国の政治的なプロセスを充分に考えた、その国における参加プロセスを重視すべきという要素、(ニ)更にIMF・世銀ともからむが、プログラムの中身について社会的なコストをもっと考えるべきという要素だと思う。これらの点については更に考えるべきであり、日本としてもっと言わなければならない。ただし、以上の全ての点について世銀内でも反対する人はおらず、あくまでニュアンスの違いだと思う。


(6)おわりに−開発問題に関心を持つ若い人達へ−

最後に、まだ遺言を残す年ではないが、やはり開発問題に関心を持っている若い人達には、途上国の開発のため、どのような観点から日本が支援するのかを考えるに際して、是非「広く高い立場」から考えてほしいと思う。具体的には、短期的な日本の利益のためということではなく、開発途上国の「貧困」という捉え方が本当に良いのかは議論があると思うが、少なくとも開発途上国の「開発」のために日本は何が出来るのかという観点で考えてほしい。

そして、そのような観点は本日の出席者にとっては当たり前ということになるかもしれないが、それを自分だけでなくて日本全体の考え方になるように、是非努力をしていただければありがたい。これが、OECF・JBIC、そして世銀で勤務して、私として一番強く感じることである。


【席上の意見交換】

1.「実施(implementation)」についてお伺いしたい。昨年の春頃から「実施」の重要性が叫ばれ、国毎・イシュー毎にウォルフェンソン世銀総裁のビジョンの下で「実施」の面で随分世銀がイニシアティブをとり、仕切ってやってきていると思うが、世銀の開発戦略の全体像の中で、どのように位置付けられているのか。世銀の今後の戦略として、ハブ的役割を果たし、リーダーシップをとっていくのか。また、バイの援助機関では、英国(DFID)、北欧諸国、オランダ等の発言力が大きいが、日本として「実施」の面でどのようなリーダーシップ、またはイニシアティブを取り得るか(あるいは取っていくべきか)。世銀での経験を踏まえてお聞きしたい。

→(原田)実施については、正に現在これが一番大事だ、と世銀では考えられている。何をやるべきかということについては既に合意が出来ているので実施が重要ということである。昨年の世銀IMF春会合の際に、「実施」と書いたTシャツが各代表に配布され、私達ももらった。(質問に答えて)着てはいない(一同笑)。具体的に、国と分野(教育やエイズなど)の双方があるが、国段階での実施が重要ということが、基本的に世銀の考えでも日本の考えでもある。

世銀が取り仕切っているのではないかということについては、世銀の認識としては、決して取り仕切るのではなくて、調整はするものの、すべてを自分が決めようということでは全くなく、むしろ自分の影響力で決めようとしないように努力をしている。

第一に、オーナーシップとの関係で、その国の政府、より広くその国の国内における参加プロセスで、オーナーシップを持った政策合意ができて、それをサポートするように努力している。第二に、サポートする際も、ドナー・コミュニティ全体としてサポートするのであって、世銀が取り仕切ることは可能な限り避けるようにしたい。この双方の面に配慮していくということが、世銀スタッフの強い主張だと思う。

第一の点については、貧困国のPRSPプロセスでは、比較的多くの国において、問題が起こらずうまく機能しているのではないか、決して世銀が何でもかんでもやってしまっているということではないのかなと思っている。オーナーシップについては世銀としてもかなり努力をしており、NEPADなどについてはドナー・コミュニティ全体としても協調していると理解している。

第二の点については、英、北欧、オランダ等が、バイの援助機関の中ではかなり巧妙に、全体のドナー・コミュニティ全体の調整の中で、実際に重要なところで影響力を行使している傾向が強いと思う。その過程で、世銀もかなり重要な役割を果たしている。日本との関係でいえば、現地、国レベルでの実践が重要である。世銀の戦略のみならずドナー・コミュニティ全体の発想として、オーナーシップからすれば当然ではあるが、現地での活動が最も重要である。従って、どれだけの人が現地にいるか、そしてどのような事が出来る人が現地にいるかが課題になる。JICAはかなり頑張っていると思うが、実際のところを
見ると、現地にいる人が少ないのが現実である。

この点で申し上げたいのは、多くの国で日本は圧倒的に重要なドナーである。そのようなところでは、最近のベトナムでのPRSPの例に見られる通り、具体的な政策目的を持って、かつ整合的な議論をして、オールジャパンとして対応すれば、かなりの影響力を行使できると思う。そのような観点から、調和化やドナー調整に対する日本側の消極的な姿勢について、改善をしていく必要があると思う。むしろ、調和化やドナー調整の中で日本の主張をはっきりと生かしていくべきである。

現在は、無理やり日本が世銀等と違うことを言わなければいけないという状況ではない。日本が強調する点が世銀等と若干違うという程度が大部分だと思う。そこをはっきりと論理的に説明して、オールジャパンとして整合的に動いていけば影響を与えられると思う。


2.世銀の開発戦略の哲学的側面について伺いたい。結果的には貧困削減と成長の間でうまくバランスがとれているとのお話があったが、各国の現場で何が起きるかという戦略の実施面が重要である。貧困削減を極めて広義に捉えて開発を通じての低開発からの開放を貧困削減というのであれば問題ないが、実際に世銀の担当者と話すと、貧困削減といえば教育、保健などを考えており、狭義の直接的削減に話が行ってしまう。また、日本の主張する、「まず成長を確保しないと貧困削減にいかない」ということと狭義の貧困削減の間には、「貧困層が参加する成長」、「成長から貧困層が恩恵を受ける」といったものもある。

自分が担当した東チモールやコソボを見ると、貧困削減といえば、どうしても経常支出の何%を教育、保健に使ったかという形で評価されてしまい、インフラに投資すると貧困削減に影響があるという形では評価されにくい。

ニュアンスや焦点の違いの問題であり、哲学的にはバランスが取れているというのはそうだと思うが、それが実際にオペレーショナライズされ実行されているかという点には疑問がある。

→(原田)一番中心的な論点は、評価のあり方である、今回の冒頭説明では、結果重視アプローチという論点は詳細に説明しなかったが、おそらく頂いた問題提起の中心的なところは、いかに結果を計測するか、結果として何を重視するかというところに始まって、評価として何をとるかという点にかなり左右されると思う。その点を中心に、世銀がどのように考えているかについて、自分が理解するところを話したい。

貧困について、ミレニアム開発目標(MDGs)は貧困半減の後に、初等教育、幼児死亡率、妊婦死亡率といった、社会分野の個々の目標が掲げられている。広い意味では保健関連で、インフラも関係するが、水も取り上げられている。このようなMDGsの目標とされているものが結果の計測の目標となると、保健・教育分野に直接影響がある事業をする方が評価されることになってしまう。

私は、全体の動きとしては、かなり中長期的な成長の重要性が強調されていると思う。例えば、国レベルの国別支援戦略(CAS)の議論でも、民間部門やインフラも重視されている。他方、結果重視、MDGsが強調されることにより、直接的にMDGsの個々の目標に影響するものだけが重視される危険性はある。世銀内の結果重視の議論としては、MDGsをバランスよく捉える努力、例えば所得が重要なので、service delivery MDGsを個々として捉えて直接関係するもののみを重視するようにならないよう、よりバランスがとれるものとなるような努力が行われている。その表れとして、インフラについて、世銀内の注目度は変わってきている。


3.冒頭説明で、世銀の究極目標が貧困削減であり、MDGsと整合性を保ちつつ取り組みを進めていくとの話があったが、国際目標が世銀の外で設定される時代になり、80年代までの世銀IMF主導から、国連の場の議論が上に載る形となっている。日本も同じような立場に置かれており、MDGsが2015年までの目標を設定している中で、日本としてもMDGsの枠内でどうするかという戦略を考えることが重要である。

MDGsとの関係で日本が考えるべきことは、期限内でタイミングを失わないように、やるべきことをやることである。また、世銀の掲げる2本柱のそれぞれの中で、日本がどのように貢献できるか考えることも大事だと思う。JBICは、適切なレベルのインフラ整備とはいったい何なのかについて検討を進めている。特にアジアでは、昨今民間資金が流入しない中で、民間資金が流入していた時代に引きずられているような議論が残っているところ、世銀と共同で調査研究を始めている。

国際的な目標設定のレベルでどのような問題提起を行うのか、そして実施のレベルで具体的に何をやるのかを考える必要がある。また、期限内に出来ることはかなり限られているので、日本が自らでできる範囲に特化しなければいけない。

その中で、日本ができることを、パートナーシップや既存の枠組みの中できちんと位置づけていくことが重要である。現下の状況では、既存の予算をより効率的に使うことが重要であると思う。

→(原田)すべて賛成である。バイの立場について、特に私から付け加える内容はないが、国連とブレトンウッズ機関との関係について、パートナーシップとの関連で少し敷衍したいと思う。MDGsに象徴される数年来の開発の議論は、伝統的な開発コミュニティの枠を超えた関心を集めている。国連という場で開発資金についてモンテレイ会議が行われたのみならず、G7・G8でも開発が中心的課題になっている。世銀としては、国連の場での議論を自らと対立したものと捉えておらず、上下関係があるとは思っていない。(例えば、安保理で決められたことに従って世銀やIMFが何かするというような形にはなっていない。)対立ではなく協調していくということが、特に最近の世銀側の強い傾向だと思う。

この点については、モンテレイ会議の過程でも感じたが、国連の側には(IMFに対する意識なのかもしれないが)ブレトンウッズ機関は先進国主導であって、ワシントン・コンセンサスを押し付ける傾向があるという認識がかなりある。このような認識に対して、現在の世銀は非常にセンシティブであり、そのように考えられないように、実際の行動を示していかなければいけないと強く意識している。


4.IMFと世銀の協調はどのように行われているのか。

→(原田)IMFと世銀の協調には長い歴史があるが、基本的には3年前にかなり明確な形で合意がなされた。短期的な経済の安定、金融危機への対処等にはIMFが中心的役割を果たし、より中長期的な構造的な問題については世銀が中心的な役割を果たすという分業をするということになった。

特に貧困国のPRSPの扱いについては、常にIMF・世銀共同でアセスメントを行っている。双方のカウンターパート間で極めて緊密な協調と棲み分けが行われている。また、双方が関連する政策提言を行う際は、国レベルで協力している。

双方が相乗りになっている典型的な例としては、金融分野がある。金融はその国の短期的な安定のために極めて重要であり、中央銀行の金融政策についてIMFが得意だが、世銀は中長期的な開発のための基本的なインフラとして金融を捉えている。双方が共同ミッションを送り、FSAPという形で完全に協調している。


5.政策評価の指標について、昨年からPRSP、MDGsの指標比較をシステマティックに行っているところ、その中で見えてきた問題を紹介したい。PRSPとMDGsにはかなりオーバーラップがあり、PRSPはMDGsを選んで評価しようとしているが、私の知る限り、マクロ指標のないPRSPはない。そのほかに社会人口面での政策評価がある。更に、ガバナンスやインフラの指標、ベトナムでは精神的福祉の指標まで入っていたりする。従って、MDGsに焦点を当てることにより、成長から目が離れるという心配はあまりないのではないかという印象を持っている。(民間セクターの指標についての質問を受けて)民間セクターの指標もあるが、国際的な基準がはっきりしていないので、国によりかなりばらばらになっている。実施にデータがあるかもわからない。IDAの実施のためにモニターしようと思っても、クロスカントリーで加算できない。今後の検討課題である。


以上の諸点をはじめ、日本として取り組むべき課題や、議論を聞いての感想など、短いものでも結構ですのでinfo@developmentforum.orgまでご意見をいただければ幸いです。

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