2003年4月23日BBL概要


人間の安全保障を実施に移すため の課題



4月23日、ワシントンDC開発フォーラムBBL「人間の安全保障を実施に移すための課題」が、約20名の出席を得て行われました。

冒頭、田瀬和夫氏(人間の安全保障委員会事務局・日本政府連絡官)より、人 間の安全保障委員会設立の経緯、人間の安全保障という考え方について、最終 報告書の要旨についてのご説明、また今後同報告書をどのように実施に移して いくべきかについて問題提起をいただいた後、人間の安全保障基金の運用、独 裁制との関連と政治化の問題、日本の国益と普遍的価値といった論点を中心 に、出席者間の議論で様々な意見が出されました。

尚、人間の安全保障委員会最終報告書要旨(和文・英文)は次の通りです。 http://www.humansecurity-chs.org/doc/j-reportoutline.html http://www.humansecurity-chs.org/doc/outline.html

冒頭プレゼンテーション及び出席者からの意見のうち、主要なものは次の通り です(順不同)。

(1) 人間の安全保障は1994年のUNDP人間開発報告書で注目された概念である。 2000年、アナン国連事務総長のミレニアムサミット宣言のための報告書では、 「人間の安全保障」という言葉は使われなかったが、恐怖と欠乏からの自由と いうことで基本的には同じ内容が表現されており、これが国連の目標の中核に 位置付けられた。人間の安全保障という言葉が使われなかった背景には、カナ ダと日本の概念の差違がある。カナダの概念形成は「恐怖からの自由」に焦点 を当てており、国家が国民の財産や生命を守ることができない場合に国際社会 が介入してでも人々の生存を確保すべきだという人道的介入の考えを打ち出し た。これに途上国が反発し、国連文書では「人間の安全保障」という言葉につ いて合意ができない状態が続いている。

(2) 小渕恵三氏が外務大臣だった際、日本政府は「恐怖からの自由」と「欠乏 からの自由」の双方が重要という立場を打ち出した。アジアの経済危機からの 回復、地雷禁止条約への参加等を進める上でこの考え方に注目が集まり、外交 政策の一つのアジェンダになった。2000年のミレニアムサミットでのステート メントの中で森総理が人間の安全保障委員会構想を打ち上げ、アナン事務総長 の支持も受けながら、国連から独立しどの機関にも従属しない委員会として 2001年1月に設立された。全大陸・全人種を含む12名のメンバーが2001年6月の 第一回会合から今年2月の最終会合まで研究と協議が重ねてきた。

(3) 委員会の考える「人間の安全保障」は、従来は基本的に国家がその中にい る人々の安全に関して全て責任を負ってきたのに対し、それができない場合が 出てきたという現実に注目している。つまり、国家が機能しない場合、あるい は国家が機能していてもHIV/AIDS等新たな脅威が出てきておりそれに対応する 枠組みが出てきていないような場合である。そのようなときに、国家の安全保 障という枠組みだけでは問題が解決できないという認識が根底にある。

(4) それをどのように補うかということであるが、委員会が注目したのは、国 家の力が不十分な場合のアプローチは、(イ) 国家の力を強くする、(ロ) 国際的枠組みを強くする、ということの他、(ハ)人々自身が自らを保護し持 続的に自分たちで回していけるようなエンパワーメントを強化するという点で ある。「保護とエンパワーメント」というアプローチに基づき、上からの保護 と下からのエンパワーメントの両者が出会ったところにある考え方が委員会の 考える人間の安全保障である。そのために、「国づくり」や「人づくり」に加 えて「社会づくり」、「コミュニティづくり」といった、人々が相互作用する 単位に視点を持って考えるとことを委員会として打ち出した。

(5) 国家の力が足りない、人々の力が足りない、枠組みの力が足りないことが 端的に現れるのが、紛争と開発のせめぎ合う側面である。国家の力が弱く、 人々も力を失い、国際社会の規範も確立されていない。緒方氏の注目する紛争 後から開発までのギャップと、セン教授が興味を持っているsudden downturn、すなわち急速な政治経済状況の悪化により政治・経済システムが一 気に混乱し、場合によっては紛争にまで至ってしまうこと、この両面を人間の 安全保障の課題として取り上げている。また、絶対的貧困の問題も報告書で取 り上げているが、報告書が特に強調しているのは、紛争と開発の政策の統合 (integration)をしなければいけないということである。

(6) 手元に人間の安全保障最終報告書要旨がある。全部で8章あるが、第一章 では人々が自らの力をつけるプロセス、第二章は紛争下の人の保護をどうする かという問題、第三章は移動する人の保護、第四章がギャップ、すなわち紛争 から平和への移行の問題、第五章は経済安全保障、第六章は保健、第七章は教 育、第八章に総括として勧告がまとめられている。報告書は5月1日に緒方・セ ン両共同議長が上程するということで予定されており、同日ウェブサイトでも 公開すべく準備をすすめている。

(7) 以下、今後の人間の安全保障を実施に移すための課題を提示したい。まず は多国間の枠組み、国連、ブレトンウッズ機関を含め、どのように人間の安全 保障を主流化、規範化してくかというのが一つのフロンティアである。報告書 に書いてあることを如何に国連の中で実施していくか、いかに開発機関と人道 機関の組織のあり方、政策の立案の仕方を統合していくか。調整 (coordination)という言葉をあえて使わないで統合(integration)と言うの は、調整をしようとするとレイヤーができるばかりで障害になるという経験が あるからだ。そこで「統合」ということだが、しかし具体的なあり方について は現時点で詳細な処方箋がある訳ではない。この回答は今後の国際社会の活動 に委ねられる。

(8) 人間の安全保障基金からは日本政府は累計で約210億円を拠出し、来年以 降も拠出を続けていく見込みである。この点お金の使い方が課題となる。これ まで国連では様々な事業が行われてきているが、複数機関の合同事業、紛争と 開発双方を内容とする事業、市民社会コミュニティに焦点を当てた事業、NGO が実施する事業という要件を満たした案件に優先度を与えることにより、お金 の使い方に工夫ができるのではないか。

(9) 要旨には含まれていないが、人間の安全保障に関するコアグループを作る という考えがある。国連とブレトンウッズ機関を含むものと書かれている。具 体的なマンデートについては記述していないが、これが動き出せば開発政策、 人道的活動その他の中で、今申し上げたような考え方を具体化することにつな がっていくのではないか。

(10) 一方、日本の経済協力を使った、日本の政策の中での人間の安全保障の 主流化という課題もある。幸い日本政府の中では理解が浸透してきている。そ してこの大きな結実の一つが本年4月から立ち上がった「草の根・人間の安全 保障無償資金協力」である。今はODAの中にそのようなメカニズムを作って人 間の安全保障を具現化しよう、ODAの理念の中にも一部として入れていこうと いう議論があり、理解のある人々が頑張って大綱に入れていこうとしているの は確かである。もう少し広く考えれば、ここ数年で、日本の外交政策において 人間の安全保障が一つの重要な側面として主流になってきており、ODA以外の 面でも活用されることを期待している。

(11) また、国内・国外の一般市民への理解の浸透も重要だ。これはまだ決定 打といえる施策はないが、段階を経て政策として主流化していく中で、内容が あればメディア等を通じて広まることと思う。本については、事務局で訳を始 めており、7月〜8月には日本語の対訳方式で出版したいと考えている。

(12) 人間の安全保障概念に関して個人的にはとても賛成だが、国連・世銀に 勤務した経験を踏まえ、国際機関の側から見てのコメントを述べたい。まず報 告書はあまりにも全部をカバーしており、反対する人は出てこないだろう。国 連憲章のようで、反対は言えないという意味では問題ない。他方、具体的に世 銀や国連が何をできるかというところが一番難しい。総会の決議案や資金も用 意されており、これからは人間の安全保障だということでよく耳にはするが今 ひとつ根付いていない。どこでも本格的に考えられていない。どのようにして これを宣伝していくかが問題である。例えば世銀の中では、MDGは古くなった ので新しい言葉が必要という声もあるが、次に来るのが人間の安全保障とは思 えない。国際機関としては、これをどのように進めていくかが課題である。概 念として役に立つが、どのように実施できるかが問われる。

(13) 決定的な意見はないが、お金と連動させるというのは一つの戦術であ る。スキームに名前をつけ、その目的に使ってもらうことにより、使ってもら う側に認知してもらう。また、人間の安全保障イニシアティブを打ち出すこと もありえるのではないかと思う。他方、あまり具体的な状況について論ずると 政治化されてしまうという側面もある。ポストサダム・イラクが人間の安全保 障だというと不要な政治的な色がついてしまうのではないか。逆に良い例とし てスリランカなどがあげられると思う。スリランカのポストコンフリクトに関 して人間の安全保障プロセスが打ち出せれば、名前を知ってもらうのによい。

(14) 国連にいくと各機関の間ですぐに競争が始まってしまうので、「調整」 という言葉をあえて使わなかったのは成功だと思う。これは国連の改革にもつ ながるかもしれない。開発と人道援助の機関がバラバラなので、この「統合」 を考えていかねばならない。

(15) 同じく報告書には大賛成だが、やはりどうもワーカブルな印象を与えな い。政治化されないために大事なのは科学性ではないかと思う。どんなに政治 的なバイアスがかかる状況があっても、社会科学的な点から正しいというとこ ろまで突き進めて議論すれば、イラクでは使わないがスリランカで使うという 配慮がいらない。また2〜4章が平和で5〜7章が開発、そして8章でまとめ るという章立てには疑問が残る。これでは人間の安全保障ではなく店を広げた だけにすぎない。紛争と開発の問題が同時に起こっていることを科学的に論 じ、その次にこの両者が相互に関係していることを提示すべき。そして3つ目 に、その2つに取り組むためにはアプローチがいくつかあるが、共通の処方 箋、同時に効く薬がある。というように説得力をもって議論できていれば、政 治化されるという懸念がいらないし、その処方箋からやろう、あるいはこの部 分の実証が足りないので研究しよう、というよう進めることができる。

(16) 章立てについてはセン・緒方両議長がそれぞれのパート、3章ずつの中 で統合するというように決めた。例えば移民に関しては中で統合していると言 えよう。しかしギャップ、移行の話、経済安全保障、保健など全てを統合して 論じることができたかどうかは読者の判断であろう。科学性について、紛争か ら開発の連関は明らかであり、開発から紛争は注意深く見る必要があるにして も何らかの相関があるということで結論付けている。人々の心のなかに植えつ けられた飢饉の記憶が50年して紛争に至った例や、一般に平和を重んじる人 がテロや反政府行為に寛容か、兵士として雇用されることをどのくらい受け入 れるかなど、直接は結びつかないが明らかに関連がある。特にテロについては 暴力に対する寛容性が影響されるということを述べている。共通の処方箋が何 か、今後の課題として深める必要がある。政治化という意味では報告書はまさ に科学したつもりであり、いろいろな状況に応用できる。ただし、委員会の 側、日本政府の側から誤った理解を提示したり、曲解した形で理解されるよう なことは避けるべきと考えている。

(17) 人間の安全保障基金で200億円の基金があるということだが、執行機関は 何を想定しているか。どのように考えても、200億円ではできない。エイズの 問題についても10年前とは発想・思想自体が変わっている。

(18) 約200億円のうち100億円程度は既に具体的事業に当てられている。人間 の安全保障基金は国連事務総長のもとに基金があり、国連のすべての機関で活 用できるのが特徴である。人間の安全保障に見合うプロジェクトについて機関 が提案を作り、1件1億円程度の規模で行ってきている。来年度分の予算要求 で額がいくらになるかは決まっていないが、外交政策の中で主流化していけば それに応じた金額となるのであろう。しかし同時に、他国も拠出して国際社会 の基金にしていかなければならないという考え方も出てきている。これまでは 主に、ある機関が実施する個別の事業に使われており、紛争と開発の双方の要 素を持っており紛争処理機関、人道と開発機関が共同してコミュニティレベル で実施しているものが少ない。

(19) 一方、これまで基金に関して良かった点として、直接に被益する人がい ることを前提としてきたということがある。これまでの日本のやり方では、基 金に拠出し使い方は国連任せだった感を免れない。これまで、実際に困ってい る人は間接的にしか被益しない場合も多く、人間の安全保障基金は国連内でも 一番厳しい基準を用いてこれを回避してきた。国連機関からはお金がすぐに出 ない、却下される、と不評だが、自分自身としては、これまでこの類の基金の 運用が緩やかだったところが改善されて良かったのではと思っている。より広 く言えば、国連と日本の付き合い方を変える必要がある。近年ODAが減額され る中でも、人間の安全保障基金は一定の金額を確保してきている。注目・支持 されている分きちんと運営し、国連内での政策に影響を及ぼし、国連の組織改 革まで見据えたかねの使い方をすべきだ。

(20) (人間の安全保障の活動は、当初は国連中心で今後ブレトンウッズとコ アグループを作るという話があったが、他のバイ機関の反響はどうかとの問題 提起に対し)例えば米国の対外援助政策とどのようにマッチさせていくかとい った課題があろう。論点としてあり得るのは、USAIDのキーワードは「効果」 であり、破綻国家がその外に置かれがちである。これを人間の安全保障で扱え ないか。テロの醸成を防ぐという点で思想を同じくする部分は米国ともあるの で、そこにも注目したい。また、スウェーデンやタイ等、委員のいる国をはじ めとして政策対話していくことも挙げられよう。更に、南南協力を進めるこ と。アジアではタイ、インドなど、南南協力の旗手となる国と対話・協力して いくことが重要なのではないか。

(21) 人間の安全保障の考えは、”MDGs”ほどのコンセンサス・通用力を得て いないと思うが、そのレベルに持ち上げるということを考えれば、このできた ての概念をイラクに使う、スリランカに使うなど、危険性はあるが積極的に実 践していくべきではないか。

(22) イラクを抑圧していたのはイラク政府であり、言論弾圧、拷問など政府 の人権侵害から解放されるのは、広い意味ではもちろん人間の安全保障なのだ が、一方で独裁国家からの解放がすなわち人間の安全保障であると短絡して結 び付けられるのは好ましくないと思う。米国が戦争をした後の復興が人間の安 全保障ということになっても誤解を生じるのではないか。委員会の報告書で は、Preemptive strikeは、これまでの多数国間主義(マルチラテラリズム) を弱めるものであり、これまでの安全保障の体系をundermineすると書いてい る。委員会の議論でも避けて通れない点であった。

(23) 人間の安全保障を国際アジェンダとしていくには、これを「知的」に推進する人の存在が必要である。緒方さんの後を継げる人材がないと、今後失速 してしまうのではないか。(これに対し、例えば首相補佐官の岡本氏など、伝 統的安全保障を専門にしている人の理解が得られれば大きな影響があるのでは ないかとのコメントあり。)

(24) (人間の安全保障という枠組み自体の有効期限、賞味期限はどうなのか との問題提起に対し)PRSPやCDFもリパッケージングだと思うが、人間の安全 保障もそういった側面がある。確かに新しい視点がある程度盛り込まれている が、実際にやっていることは、ある意味で日本の経済協力の総括と言ってよい ぐらい、技術協力・現場主義に根ざしている。これまでやってきたことのリパ ッケージングである。その意味で、10年もすればまた国際社会をとりまく状況 が変わり、人間の安全保障の次に出てくる概念があるのではないか。新開発戦 略と同じで、これの更に上を行く概念が出てくる。

(25) 技術協力の成功例は30年物であり、これまでかろうじていくつかそれ を見てきている。それを流行言葉のリパッケージングとくくってしまうのは如 何なものか。他方、人間の安全保障の付加価値は、行動に影響を及ぼすという オペレーショナルなものである。開発と紛争の両方に通用する新たな行動を引 き出すシードマネーとして、共通かつ予防的なものに出して例示していくとい う使命がある。

(26) 報告書第一章で恐怖からの自由をあげているが、独裁国家に住んでいる 人はまさにそうした「恐怖」の状況に置かれている。その点に触れないと、そ こからどのように自由になるかは言えない。独裁制ということに触れるとあま りに政治的になるのかもしれないが、北朝鮮、中央アジアの独裁国家などはま さに一番恐怖がある国々だ。イラク戦争こそ、恐怖からの自由を実現するもの とも取れる。恐怖からの自由ということで第二章のようなことをやっても達成 できない。

(27) 独裁国家など統治能力がある国家の扱いは、人間の安全保障の今後の最 大の課題であると考えている。委員会の報告書の中では、人間の安全保障は外 科手術ではなく、手術が必要となるような困った状況を防ぐための漢方薬、東 洋医学のようなものであると捉えている。人々のエンパワーメントを通じ、政 治に対して声を上げられるようになることを目指す。一方、国際社会の規範と して確立している人権という枠組みがあるが、統治能力のある国家が国民に対 して行う政策にまで人間の安全保障という概念が入るべきか、またその場合に はどのような原則にのっとるべきか、充分に議論されていないというのが自分 の感想である。

(28) 国際的な価値を生み出すためには、会議を開催したとか国連決議を作っ たというだけでは不十分である。実施のための課題に本気で取り組まなければ ならない。例えば世界のあらゆるイニシアティブに人間の安全保障を組み合わ せようと積極果敢にアプローチしていくなど、臨界点を越えるべく、知的な領 域で努力して原動力を与えていかないと付加価値にならない。そういうシンボ ル操作の点で、日本はまだ不足するところが大きい。

(29) 今の段階では、緒方氏が推しているから皆が受け入れている。正直なと ころ、あとどれだけこれを推せるかで成功が決まる。政府が飛行機を用意して 世界中を飛びまわっているのが現状ではないか。あまりにも緒方議長の存在と くっついている。緒方氏がいなくなったら前に戻ってしまうのではないか。現 時点で世銀と国連が共同でコアを構成するのはほとんど不可能に近い。国連は 内部で競争しているし、世銀も課題が多い。今になって人間の安全保障という 新しい課題をつける余裕がない。

(30) 確かに共同議長のキャパシティに依存するところが大きいのは確かであ る。一方、国益の議論であるが、自分自身は、日本の考える理念を規範化する ことが国益であると考えている。例えば米国にとっては民主主義と自由市場を 世界のルールにすることが明らかに国益であるのと同様、日本にとっては日本 人の価値観を国際社会のルールにすることが国益であろう。日本の正しいと思 うこと、それには平等、公正等いろいろあるが、ひとりひとりの価値観に照ら して正しいと思うことがあるはずである。そのような価値観を外交政策の様々 なツールを用いて国際社会の規範にすることが最終的には国益なのではない か。その意味で、ODAも人間の安全保障も、日本人の理念を国際社会において 規範化するためのツールとして使うべきである。理念そのものは短期的にODA そのもので個別具体的に実現され、尊敬、評価は中期的に日本に跳ね返る。し かしもっと重要な長期的国益はその先の「理念の規範化」にある。

(31) (人間の安全保障研究所を設立する考えはないか、世界中にペーパーを 発信していかないとだめなのではないかとの問題提起に対し)NIRAやFASIDで いろいろな研究をして頂いているが、世論を形成していく上ではさらに多くの ことがなされるべきであろう。人間の安全保障研究所の設立も考えられなくな い。

(32) 国民へのアウトリーチが重要である。どのように日本国民の支持を得ら れるか、工夫が必要である。

(33) 処方箋は全部に効くというのにしないといけない。ガバナンスや社会の パワー、社会づくり、これこそ人間の安全保障がもたらすオペレーショナルな 処方箋である。問題に対応できる社会をつくるという思想をもっと出していけ ば、国民にも世界にも売れるのではないか。

(34) ガバナンスはもちろん必要であるが、国家のキャパビルをやっている間 にその網のあいだからおちてしまう人々がいる点に留意すべきである。委員会 の結論は中間点でしかない。今後の課題は政府・NGO・学界等全ての人々に向 けられている。

以上の諸点をはじめ、日本として取り組むべき課題や、議論を聞いての感想など、短いものでも結構ですのでinfo@developmentforum.orgまでご意見をいただければ幸いです。

Top