ワシントンDC開発フォーラム
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日本はミレニアム開発目標(MDGs)に対して如何に取り組むべきか

 2002年6月26日、ワシントンDCにて、政府、実施機関、世銀グループ・米州開銀・IMF、企業、NGO、シンクタンク・大学、メディア等の経済協力関係者約30名が、日本のミレニアム開発目標(MDGs)に対する取り組みのあり方について、昼食を交え個人の資格で意見交換を行ったところ、概要次の通り。

【ポイント】

  1.  MDGsのような国際目標と日本の援助の間には、大きな距離がある。日本の援助政策においては、「金をいくら出すか」は明確であっても、「具体的に何を達成するか」を明らかにすることは稀であった。また、援助の実施レベルにおいても、種々のプロジェクトや事業活動が個別に実施されており、それらが全体として具体的に何を達成しようとしているのかということを、必ずしも明らかにした上で実施されてきていたわけではなかった。MDGsは、正に、そのような日本の援助のあり方に対して問題を突きつけていると言える。
  2. 日本はこれ以上傍観者であってはならない。MDGs自体にいろいろ問題点、あるいは改善すべき点があることは当然として、それらをあげつらうのみでは埒があかない。国際潮流への建設的な参画を通じてMDGsをより良きものとするための議論を進めると同時に、MDGsのようなものを、日本のODAを改革するための機会として捉えた議論がより一層深められるべきである。
  3.  その際、これまでの教訓に鑑みても、議論は、具体的なアクションを具体的な期限内に行うためのアジェンダを明らかにすることを目指すべきである。また、機を失することなく、かつ政策官庁のみならず援助の専門機関や学識者を交えてより幅広い視点から、議論が行われなければならない。 


冒頭プレゼンテーション担当:戸田 隆夫(とだ・たかお)――――――――――――――――

1960年大阪生まれ。1984年京都大学法学部卒。同年JICA入職。東京大学新領域創成科学研究科修士、ロンドン大学ワイ・カレッジ大学院課程ディプロマ(Environmental Management)。外務省無償資金協力課、在ザイール大、JICA改革推進室長代理、国際協力専門員等を経て、20014月よりJICA米国事務所次長。近著:「環境、平和と開発の相関を踏まえた新たな国際協力パラダイムの構築」(東大新領域紀要創刊号)、「南部アフリカ地域援助研究会提言」(JICA同研究会)、「環境とガバナンス」(JICA第二次環境研究会)、「平和構築の理解促進と配慮の徹底」その他(JICA平和構築研究会)

(プレゼンテーション内容は発表者個人の見解であり、所属先、ワシントンDC開発フォーラムの立場を述べたものではない。)

【冒頭プレゼンテーション】

 今回の発表は、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals。以下「MDGs」という。)に日本が如何に取り組むべきかという問いに対して、具体的な行動に結びつくような実践的な回答を試みようとするものであり、そのような回答を求めている人の参考となれば幸いである。また、MDGsに対して懐疑的、批判的な人も是非ご一読願いたい。ちなみに、本稿はMDGsに関する既往の情報を体系的に整理した説明書ではない。ワシントンDC開発フォーラムや私の属する組織(JICA)の見解を代表するものでもない。むしろ、援助現場からMDGsをどのように考えるかという視点からのアプローチを試みたものである。

1.国際協力の現場から

(1)「プロジェクト」かMDGsへの遠い道のり

 MDGsと言われてもピンと来ない、というのが、日本の援助実務者の多くが持つ率直な感想である。参考までに、今日本がどのような国際協力を実施しているかについて具体的なイメージを持つために、JICAWebで公開されている事業事前評価表を見て頂きたい。例えば、「中国大型灌漑区節水灌漑モデル計画」を見ると、最終的には、日本の全農地面積に匹敵する延べ470haの農地を灌漑し、中国において4400万人の年間消費穀物量を生産する水の量の節水を確保することに貢献することになるという。ただし、これほどの規模のインパクトをもち、かつその効果を相当程度に定量化できる日本の協力事業は稀である。本年から開始された「ザンビア孤立地域参加型村落開発」を見ると、「本件終了後から5年後の2014年までに、参加型持続的村落開発手法が他の孤立地域で実施され、貧困軽減に向けた活動が開始され」、更に「2019年までに村落の収入向上や栄養面の改善によりザンビア孤立地域の貧困軽減に貢献する」とあるが、その効果の発現までに長い長い道のりがある。かつ、その効果を予め定量化することは極めて困難である。日本の援助実務者は、これまで長年に亘り、このようなプロジェクトの一件一件を如何に効果的・効率的に実施するか、ということに腐心してきた。それがある日突然、「2015年までに世界の貧困人口を対1990年比で半減するという目標と関連づけて考えよう」と言われても、正直言って何をしてよいかわからない。自らの日常業務とのギャップの大きさに鑑みて、具体的に何をすれば良いのかという点についてイメージを持つことは難しい。

 無論、日本の援助実務者がこれまでMDGsの原型となったDACの新開発戦略やその他の世界の諸潮流に無関心でいたわけではない。一部の関係者には良く知られた話であるが、1996年のDACの新開発戦略の策定に際しては、日本は舞台裏で積極的なイニシアティブを発揮した。爾後、例えばJICAでは、DAC新開発戦略に対応するための調査研究を実施し、1998年に提言をとりまとめた。同年はODA改革三か年の第一年目となり、援助の実務機関であるJICAでは、国別事業実施体制の確立や、開発課題への効果的アプローチのための体制作りが軌道に乗ったが、これらは期せずして、貧困人口の半減などの目的を掲げたDAC新開発戦略の実行にとって必要な基盤作りと重なった。また、組織体制のみならず事業実施のあり方についても抜本的な見直しが進められ、旧来、「研修員の受け入れ」「専門家の派遣」「機材の供与」「開発基本計画策定等のための調査」など、いわゆる業務の形態別に行われていた事業のあり方を改め、当該国に対する協力の計画を検討する段階から、開発の課題ごとに事業をデザインする方式に改革が進められてきている。

 しかしながら、MDGsのような国際目標と日本の援助のあり方の間には、依然として大きな距離がある。当該国のとあるセクターや開発課題ごとに、援助がどのような意味を持つのかという巨視的な観点から、日本の援助を総括することは大変難しい。よほど思い切った前提条件を課して「虚構のうえに虚構を重ねる」ことでもしない限り、日本のMDGsに対する貢献を具体的に、かつ、一般の人々にも理解できるかたちで明らかにすることは概ね不可能に近いのではないかというのが、多くの援助実務者が今抱いている率直な印象である。

(2)「日米競演」の対照性

 G8 サミットの一週間前に当たる本年620日、日米政府は教育分野の協力に関するそれぞれのイニシアティブを発表した。コミットメントの額は、日本が5年間で2500億円(約20億ドル)、米国が同じく5年間で2億ドルである。例によって、日本のイニシアティブには、いくら金を出すかという以外に、「米百俵」という数字を除けば、成果に関連して数字で表されたものはない。他方、米国のそれには、16万人の教師育成、26万人の現職教師再教育、教科書450万冊の配布、奨学金25万人分の提供等の数字が目白押しに並んでいる。米国援助関係者に言わせると、「政治的コミットメントにおけるレトリックに過ぎない。いつものことさ。」とさりげない。この類の数字に議論が及ぶと、日本人は、「そのような無責任な数字を挙げることはできない」「達成できなかったらどうするのか」「会計検査院対策はどうするのか」と至極真面目である。アメリカ流のいい加減さ、あるいは、思い切りの良さを無批判に真似るべきであると言うつもりはない。しかし、当該イニシアティブが全体としてどのようなことの実現を目指すのかという点について日本では必ずしも十分な議論がなされていないようである、ということを指摘しておきたい。政府が「いくら出す」と約束する、援助実務者がその約束を果たすために予算を適正に執行することに精を出す、というプロセスにおいて、それらの営みが何を達成したか、ということが問われることは稀であった。

 日本の援助がMDGsの達成に向けてどのような効果をもたらすかを定量的に明らかにすることは容易ではない。MDGsとは、世界全体で、地域全体で、国全体で、あるいは当該国のあるセクター全体において、どの程度の成果が達成されたかを問うことである。一方、これまでの日本の援助に関する政策は、金額、すなわちインプットで表され、援助の実施は細かなプロジェクト単位で行われる。政策に関しても、実施に関しても、MDGsと日本の援助の間には、「水と油」ほどの隔たりがある。

 2.国際潮流の形成

 貧困撲滅をはじめとする国際社会の問題に対して、国際社会全体として具体的な目標を掲げて取り組もうとする動きは、それ自体決して新しいものではないが、特に

1990年代初期から活発となってきた。DACの新開発戦略から国連ミレニアム総会を経てMDGsに至るプロセスは、それらの動きの集大成であるとも言える。これらの動きには、異なった立場の人々がそれぞれの立場から参画し、それが期せずして大きな国際潮流を形成した。

 第一に、天然痘の撲滅等の成功体験を経て、人類全体の問題、とりわけその中で人道的な諸問題に対して、共同で取り組もうとした人たちの作った流れである。これらは、

90年の子どもサミット、同年の万人のための教育に関する世界会議、95年の北京女性会議、同年の社会開発サミットなどを経て国連ミレニアム総会に続くアジェンダ設定の原動力となった。

 第二に、上述の流れと重なるところが少なくないが、開発援助の受け手となる途上国が形成した流れである。

DAC新開発戦略の策定に至るまでは、G77等途上国全体としては、開発の成果に着目して世界共通の目標を策定しようとする試みに対して距離を保っていたが、援助疲れが顕在化するにつれ、これらの目標設定を開発援助の大幅増と結びつけようとして、特に国連外交の舞台において議論に積極的に参画するようになった。就中、MDGsのうちパートナーシップの強化を謳う第八目標の具体化に対しては、彼らの強い影響力が行使されている。ちなみに、これらの動きに対して、UNDPと世銀が同調して更なる援助増を唱和するに至っている。一方、米国政府は、MDGs第八目標の具体化のプロセスに対して反発し、DAC 新開発戦略に由来するIDGsInternational Development Goals)とミレニアム宣言には賛同するが、第八目標を含むMDGs全体は国際目標として是認していない。

 第三に、日本の外交官が、成果重視のトレンドを形成すべく援助外交の舞台裏で活発に動いたことも記憶に留められるべきである。前述のとおり、これが1996年、DAC新開発戦略に結実した。これらの努力は、NYとパリ間を行き来しつつ最終的にはパリで実を結んだ。しかしながら、舞台が、パリから再びNYへ移され、国連外交の中で、追加的資金の必要性に関する議論と関係づけられた時点にて、全体の流れは当初日本の関係者が企図した方向とは異なる方向に発展した。その後、日本の関係者は、これに対して積極的に関与するモメンタムを失ってしまった。「金額最初にありき」の風潮から「援助の目指すべき成果は何か」を重視する方向に転じようとした試みが、巡り巡って再び、「そのためには援助倍増が必要」という議論に帰着してしまったわけである。余談ながら、このような展開を読み切れなかったこと、そして、最初の段階で、日本政府部内、就中、外交筋と財務筋の間での議論が尽くされないままで見切り発車せざるを得なかったこと、などが今後の教訓として残る。

 第四に、人権、民主主義など、世界には共通した価値観が存在し、それらが開発援助の営為においても包含されるべきであると信じる人たちが作ろうとした流れがあった。これは、DAC新開発戦略形成の流れに対して、その尻馬に乗る形で顕在化してきた。私は、DAC 新開発戦略が定まった後、DAC/OECD、国連及び世銀の3者が協働して、世界共通の指標作りをガバナンスの領域においても進めようとする動きに直接関わる機会を得たが、その場では、世界人権宣言や国際人権規約に規定されている価値観を体現した指標を開発援助の指標として新たに盛り込むべきである、とする北欧諸国等の主張が注目を浴びた。結果的には、これらの目論見は、複雑な世界の現状認識を踏まえない、そのナイーブさゆえ具体化に至らなかったが、各援助機関の取り組みにおいて内部化され、一部はガイドラインの中に取り入れられるなどして命脈を保っている。

 最後に、各国が独自の目標を掲げ独自に開発援助に取り組んできた風潮を批判し、世界共通の目標に対して世界共通のやり方で取り組もうとする中で自らのイニシアティブを発揮しようとする、主に欧州の人々による動きがあった。この動きに対して、個別のプロジェクトを積み重ねる形で多額の援助を寛大に続けていた日本は、旧来から警戒心を持っていたが、MDGsの母体となったDAC新開発戦略に関しては、結果的に日欧協調のもと具体化の作業が進められた。

 このように、MDGsの背景には、金額至上主義からの脱却、援助調和化の促進、更なる援助供給への期待など、出自やニュアンスの異なる様々な流れが期せずして同調した、という経緯がある。

 

3 MDGsが日本に突きつけた課題

(1)貴賓席からの転落

 本年3月の開発資金会議(Monterey会議)直前に発表された米欧の援助増額に関するコミットメントと対照的に、日本は沈黙を守った。少なくとも当面、米国が再び援助量に関するトップドナーとなることになった。欧州全体の援助規模も日本を凌駕している。少なくとも、金のみにものを言わせて、日本が存在感をアピールできる時代は終わった。2006年までに米欧がコミットメントどおり援助額を増やし、日本の援助額が再び対前年度比10%減その後も横ばいとなれば、日本は、世界の援助総額を2・3割を占めるトップドナーの存在からシェアー1割強の一ドナーに変わる。無論、援助額の多寡はMDGsに対する貢献を図る尺度たり得ない。しかし、「MDGs達成のためには、現在の援助を概ね倍増することが必要である」という議論が、当地DCでもニューヨークでもさしたる根拠無く跋扈している現状においては、依然として「誰がいくら出しているか」という点が出し手のステータスに相当の影響力を持っている。個人的には全くもって是認しないが、仮に、MDGsの達成には、年間1000億ドル相当のODAが必要であるとして、それに対するシェアーをもって各ドナーの国際貢献度を図るとすれば、日本の貢献度はその点に限ると1割を切ることになる。従来の様に、「トップドナーとして多額の援助をしているのだから、おそらく多大な貢献をしているのであろう。だから日本は大切である。」とは周りは言ってくれない。

(2)流れの外にいる日本

 援助量以外の点ではどうであろうか。少なくとも、DAC新開発戦略策定以降に関し、MDGsを含む国際潮流の形成は、日本の手を離れたところで行われてきた。MDGsを巡る現在の枠組み作りに対して、日本はイニシアティブを発揮していない。国連はブラウンUNDP総裁をMDGsCampaign Manager Score Keeperに任じ、また、ジェフリー・サックスを事務総長顧問として担ぎ世界各地の研究者を巻き込んで大規模な研究に乗り出そうとしている。ブラウン総裁は、「MDGsPRSPを前提にして達成を目指す」(6/5-6MDBsDACラウンドテーブル)とMonterey会議以来のUNDP・世銀蜜月をフォローしている。世銀はMDGsに関するWebを新設し、ペーパーを大量生産しており、特に、教育(Education for all)ではその分野の国連専門機関のお株を奪う勢いで取り組もうとしている。EU2001年首脳会合でMDGsを達成するために0.7%目標達成に向けて努力することを再確認している。オランダのハーフケンス開発協力大臣は、「WTOラウンド(来年6月のドーハ会合を指す)はMDGs達成のための会合になるべし」と主張している。

 米国のみ、MDGsに言及することを意図的に避けているが、その意識が政府関係者に浸透しているわけではない。例えば、ドブリアンスキー国務次官は「MDGs達成に向け努力すべきである」(6/5)と主張している。また、MDGsの第八目標以外について米国政府としては異論を唱えているわけではなく、第八目標の内容を含まないDAC新開発戦略以来のIDGs International Development Goals)の修辞を用いつつ「IDGsとミレニアム宣言」(Monterey会合直前のブッシュ大統領演説)に対する支持を明確にしており、かつ、援助大幅増のコミットメントを梃子に、益々強くその存在感をアピールしている。

 日本は、Monterey会議での植竹副大臣による政府代表演説等でMDGsに触れた。川口外務大臣は、「今求められているのは、今世紀の初めに世界の首脳が定めたミレニアム開発目標を始め、これまで合意された事柄を着実に実行していくことだ」(625日朝日新聞)と言い切っている。しかしながら、それらの政治的意思表示にもかかわらず、少なくとも現時点において、政策官庁や援助実務のレベルで、具体的な取り組みは見えてこない。日本の援助関係者の多くにとってMDGsは外来のものである。好むと好まざるに拘わらず、日本は今、その流れの外にいる。

(3)MDGsとの関係づけが容易でない日本のお家芸

 国際協力に関する日本のお家芸は、と訊かれると、その切り口により答え方は異なるが、その中には、(イ)経済社会インフラの整備と、(ロ)人造りを含む途上国・社会のキャパシティ・デベロップメントの二つが必ず含まれるであろう。これらのお家芸と

MDGsを客観的に理解可能な形で、あるいは定量的な因果を含めて関係づけることは容易ではない。とりわけキャパシティ・デベロップメントとの関係づけは相当無理な仮定をいくつか設けない限り不可能に近い。更に、その効果発現も、2015年などというタイムラインになじまない。先般来日したWBIWorld Bank Institute)のローティエ副総裁は、最近「MDGsの鍵はキャパシティ・デベロップメントだ」と各所で繰り返して憚らないが、このコメントは、援助実務者の耳には、「キャパシティ・デベロップメントをMDGsと関係づけるのは困難だが、だからといってキャパシティ・デベロップメントを等閑視すべきでない」というメッセージに聞こえてくる。

(4)MDGsに関する批判的見解

 日本の関係者の間で囁かれているMDGsに対する主な批判的見解を並べてみると次のとおりとなる。

 

4 MDGsへの建設的参与に向けて

 (1)受動的な思考パターンの超克

 上述の見解には、それぞれそれなりの根拠があり、言下に否定できないところがある。しかしながら、これらの見解は、MDGsを所与のものとして捉えるという、受動的な思考パターンを総じて踏襲している点で問題がある。これらに対して、次のような観点からも議論を深めるべきである。

 第一に、現行のMDGsあるいはそれへの取り組み方に関し問題があるのであれば、それへの対案の提示を含め、MDGsをより良きものとするための努力に如何にして参画するかという、建設的な関わりができないのか、という議論である。

 第二に、MDGsが国際社会のコンセンサスとしてフロートされている現状を「機会」として捉え、日本のODA改革に関する既往のアジェンダを推進し、あるいは、新たなアジェンダを設定し推進するために活用できないか、という議論である。

 これら議論に対して、より多くの精力が傾注されるべきである、という点を強く主張したい。

(2)MDGsをより良きものとするための努力への参画

MDGsには、まだまだ詰めていかなければならない点が沢山ある。八つの目標にはそれぞれ価値があるが、達成の時期や具体的数値目標に関しては、国・地域ごとの実情に則した対応が望まれる。また、18のターゲットや、48の指標については、特に第七及び第八目標関連を含め、生煮えの感がある。Costingのいい加減さについては、関係者自身が認めているところである。更に、MDGsの実現に向けて、国際社会の諸資源を投入していく際に、陥りがちな罠に対しても認識を共有化しておく必要がある。指標化が難しいが開発にとって重要な意味を持つ課題、特に、キャパシティ・デベロップメントに関するという課題への取り組みも判然としない。2015年以降に顕在化する問題も見越しつつ、途上国の自立促進に向けて中長期的に効果を発揮する協力への資源投入とのバランスをどうするか、などという問題も議論されていない。

MDGs
に対する取り組みの方法論についても、重要な課題が残されている。全般的な傾向として、短期的な視点で援助効率を論じる立場から、援助吸収力のある国に重点を置くという意味でのセレクテビティの議論が盛んであるが、いわゆるPoor Performerに対して、どの程度の資源を投じて、どのような処方箋を講ずるのかという点に関し、キャパシティ・デベロップメントを重視するという抽象的なコンセンサス以外は明らかにされていない。また、それぞれの目標に対して、シナジー効果を期待しつつ総合的に取り組むべしと総論では言及しても、具体的な方法論が開発されているわけでもない。(この点、例えば、初等教育と保健衛生、栄養改善などについて総合的に取り組んできた戦後日本の経験などは存分に活用されるべき価値のあるものである。)

(3)ODA改革推進のためのMDGsの活用

MDGsを機会として活用する、という議論は、日本のODA改革が焦眉の急となっている今日において説得力を持ち得るはずである。ODAに投入される税金が全体として何のために役立ち得るのかという問いに対して、一般の人々にもはっきりとわかるかたちでの説明が必要と言われて久しいが、国際社会が掲げる共通のスーパーゴールへの適切な貢献は、そのためのひとつの説明となり得る。

 また、ODAの国際競争力強化の必要性を例証するための手段としてMDGsとの関わりを論ずることも必要である。ちなみに、1998年に公表された「DAC新開発戦略援助研究会報告書」(JICA)では、DAC新開発戦略に掲げられた目標の達成によりよく貢献するために、当地のODA改革の流れを踏襲しつつ、国際的な援助協調、国別アプローチ、成果重視のアプローチ、マルチセクターアプローチ等の取り組みを提言している。これらは、新開発戦略を機に新たに浮上したものではなく、旧来から日本のODAの課題として意識されていた事柄を「新開発戦略仕様」にしてクローズアップしたに過ぎない。これらの提言を執拗にフォローアップすることを含め、MDGsを機会として捉えることは、日本のODA改革を推進するためにも有益なものである。

 しかも、MDGsと日本のODAとの関係を論ずる際に表出する課題の多くは、PRSPに代表されるような、新たな国際協力の枠組みと関連して日本のODAが直面している課題と共通している。特に、途上国の自助努力と他のドナーによる協力などとの関係も踏まえつつ、当該国・セクターにおける日本の協力の目標を如何に掲げ、かつその成果を「固まり」としてどのように扱い、かつ、表現していくか、という基本的な課題はMDGsとの関係に限られるものではない。

(4)アジェンダの設定と公表

MDGsを機会と捉え建設的に参与していく、という姿勢のもとで素晴らしいアイデアが出されたとしても、それだけでは一時の熱が冷めると過去の経験に鑑みても雲散霧消する可能性が高い。MDGsと現在の日本のODAの実態との間における「距離の大きさ」に鑑みると、段階的に実現可能かつ管理可能な目標を有し、かつ期限を明確にすること(アジェンダとして設定されること)及びそれを公表していくことが強く望まれる。

 ちなみに、UNDPは、(イ)MDGsへの取り組みの意義について先進国途上国を問わず国際社会に周知すること(アドボカシー)、(ロ)MDGsへの取り組みを効果的・効率的に行うために理論的研究を深めること、(ハ)MDGsへの国別・地域別の取り組みを含め進捗をモニターしていくことの三本の柱を設け、それらに沿って具体的なアジェンダを設定している。例えば、研究に関しては、200412月までに所要コストの積算を終えることを目標としている。また、モニタリングとアドボカシーを兼ね、同年までに途上国ごとのMDGsレポートを作成することを目指している。

 日本が作るアジェンダも、最初から野心的なものでなくとも良い。特定の目標や国・地域に関する取り組みにモメンタムを与えるための行事を開催すること、日本の知見を活かすという観点から

MDGsと日本のODAのあり方について調査研究を実施すること、DAC新開発戦略の際に行ったように、支援ニーズの高い国を重点国あるいはモデル国として当該国との間では日本がより積極的な役割を果たすことを試みること、あるいは、より実務的にUNDPが支援しようとしている国別MDGsレポートや統計・モニタリングの整備などに関し、具体的な期限を持って取り組むことなどが考えられる。繰り返すが、ポイントは、(a)日本のODAの改革とMDGs推進への貢献の双方にとって益のある部分に関して、(b)具体的なアクションを、(c)具体的な期限を設けつつ、(d)対外的に公表し、できれば、国際社会との協調の中で、実施していくこということである。

(5)MDGsを超えて

MDGsに対する建設的参与を突き詰めていくと、MDGsの限界に対する批判と対案の提示という作業にも手を染めざるを得なくなる。その中でも、1)MDGsの達成が国別に見て著しく困難と思われる国への対応、2)ODA以外のリソースの確保、3)2015年を超えた開発展望などが重要である。

MDGs(あるいはIDGs)の達成可能性については、このまま行けば達成できそうな国とそうでない国を色分けし、更に、後者に関しては、途上国政府におけるグッド・ガバナンスや開発への真摯な取り組みの意思の有無や、援助の吸収力の有無や援助の効率的な活用の可能性について吟味したうえで、selectiveに援助を投入しようとする動きがある。そのような動きの中で、いわゆるPoor Performer without willであるとドナー側から認識された国は、世界の開発の動きから取り残されることになる。これに対してドナー側は、開発への意思を政府が示すことを慫慂するメカニズムとして、このようなselectivityの適用を正当化しようとする傾向があるが、果たして、このようなアプローチの有効性には疑問がある。ドナーの眼から見てグッド・ガバナンスに値しないと考える国においても、単に、「態度を変えるならば援助をあげる」式のアプローチのみならず、そのような国の置かれた状況に理解を示しつつ、グッド・ガバナンスを推進するための基盤整備に具体的に関わっていくことも国際社会に求められる役割の一つではないかと考えられる。また、その際、既往のMDGsの諸目標を一律に適応するのではなく、その国の実情にあった目標を設定することが不可欠となる。

ODA以外のリソースの確保については、十分に議論が尽くされていない。そもそもcostingがいい加減であることが議論の進まない主たる原因であるが、いつ終わるともわからないcostingの精緻化の作業完了を待たずともODA以外のリソース(財源)を確保する枠組みについて具体的な議論を開始すべきである。Monterey会議では、種々曲折を経て「革新的な資金源に関する分析」を継続することでコンセンサスが形成されたが、為替取引税、炭素税、武器規制と課税、eco投資、グローバルコンパクトなど、新しい枠組み作りへの具体的な検討について日本も積極的に参画していくべきである。

(6)「世の中の不幸をすべて背負う」ことと日本の具体的貢献策

 以上、累次述べてきたような提案は、ODAに関わった者であれば、容易に思い至るものである。しかしながら、これらの提案に対する援助実務者の多くが持ち得る率直な印象は、「金も増えない、人もいない状況で、これらの新しいことにチャレンジする余裕はない。MDGsが国際社会共通の目標として重要であることは理解し得ても、それに対する貢献は、あくまでも応分のものであれば良いわけであり、世の中の不幸をすべて背負い込むことなど必要ない。」という類のものであろう。実のところ、私も一実務者として同様な印象は感じている。しかしながら、「応分の貢献とは何か」あるいは「どうすれば最も効果的な貢献が可能であるのか」を突き詰めて考えていくにつれて、これまで通りの受動的な対処を続けて良いのか、という疑問も湧いてくる。

 途上国との国際協力とは、何事にも増して、不完全な状況の中で不完全なリソースをもって行われるものである。国内の公共事業や先進国同士のやりとりのような予見可能性はほとんど期待できない。その中で、僅かでも、より良き選択を行い、失敗にめげず倦むことなく継続していくことを余儀なくされるものである。

MDGsという枠組みにいくつかの瑕疵があり、かつ、MDGsに対する日本の貢献は本来限られたものにならざるを得ない、という認識であれば、尚更のこと、より早い段階で、より良き関わり方について、日本のODA関係者が広く内外の識者を巻き込んで、真剣に議論すべきである。特に、国際協力を生業とする者は、「これは、政策官庁でまず議論すべきこと」などと嘯いて、国際協力に関する自らの知見を議論に注ぎ込むという責任の履行を怠ってはならない。「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と願う日本が、MDGsに対してこれ以上傍観者であり続けることは許されないはずである。

 
【席上出された意見】

1. 具体的な提言について論じる前に、MDG形成の基盤となった社会開発目標がらみの国際会議が1990年代になぜ増えたかという点について説明したい。これは、「明確で計測可能な、期限付きの(time-bound and measurable)開発目標を設定することが基礎保健(特に予防接種)の分野での飛躍的な改善に効果的だった」という、1980年代の経験に基づくものである。

 1980年に就任したUNICEFのグラント事務局長は子どもの生存発達に大きな革命を起こすため、子どもの死亡率を急速に低下させる予防接種や経口補水塩などの普及に活動の的を絞った。特に予防接種は達成度と結果が解りやすいため、ドナーや途上国政府の資金や人材のコミットメントが得やすく、また各国が競って貢献することもできた。1977年の世界保健総会での決定後に進展が遅れていたこの分野も、グラントのリーダーシップによって、UNICEF全体が資金調達、ワクチンの調達、途上国の保健システムの強化、人材の育成、社会的動員を行うようになって接種率が大幅に向上した。1986年には、WHOの総会も予防接種率を1990年までに80%にするということを再確認した。各国も政治的にアピールが強いということで大きな貢献をするようになった。この目標が達成可能という確証が出てきたのは87年か88年であった。

 グラントはこれをテコに1990年の「子どものための世界サミット」開催にこぎつけ、それをさらに大きなアドボカシーツールとして活用した。子どもサミットでは、予防接種だけではなく子どもの死亡率・妊産婦死亡率・基礎教育・栄養・水と衛生・子どもの保護など7つの目標を掲げ、行動計画に各国が署名し、2000年までに達成させようという仕組みを作った。その後のリオ、カイロ、北京、コペンハーゲンなどの各種サミットは、このパターンを踏襲し、計測可能なタイムバウンドの目標を設定してそれを定期的にレビューするということをしている。1996年のDACの「新開発戦略」はそれらサミットでの合意をまとめたものであり、MDGはそれにすべての開発パートナー、特に国際金融機関が参加したものだといえる。

2. MDGs
のもとに48も指標も作ったのは勢いが止まらなかったからだと思うが、この指標の中には、どうすれば結果が達成できるかがわかっているものとわからないものが混在していることに留意すべきである。

大きな目標を設定して大きな旗を振るほうが元気が出るという面があるので、このように全てを包含するということ自体は理解できる。他方、カネを出す側とすれば、あるいは他人が出した金を責任を持って使う側とすれば、どこに金を出したらどういう結果が出るかわかっているものに対してお金をかけるのが常道で、どこにカネを出したらどういう結果が出るかがよくわからないが目標としては降ろせない、というものについては、分析作業が必要である。

MDGは世の中の不幸リストであるが、すべてを一人で背負うことはできるはずもなく、世界の不幸の中の「特定の不幸」を背負わしてもらう、という方向にいくしかない。どの不幸を担うかを早く見極めて方針を固め、それを具体的な事業につなげていく選択的対応が大事であって、それはMDGsの枠組みを否定することではない。

3.開発援助の現場とMDGsの距離感と、日本国内でのMDGsの理解度に問題がある。ODAを減額するという議論や、ODAの効率性に多々問題があるという議論が大勢を占めている中で、MDGsが国際的な目標として固まっているということだけで、日本の納税者として納得がいくかどうかは疑問である。

4.MDGsについて一番困るのは、MDGsという枠組みが先に決まってしまったことだ。実際には、MDGsの達成には時間がかかるし、いかなる道筋をたどれば達成できるのかもはっきりしていない。関係者の多くも、恐らくMDGsは達成できないことを十分承知の上でMDGsを担いでいる面が強い。そして、世銀やUNDPUNICEFなども、G8サミット用にMDGsに関するスタンスなど各種ペーパーを出したりして、達成のために欠けているものは何かを盛んに議論している。途上国は、当然、先進国が十分カネを出さないのが悪いと言うだろうし、結局、最後には誰が何をしなかったから達成できなかった、という話になるため、あらかじめ「お前が悪かった」と言われないための理論武装をしているわけだ。日本としても、日本の援助が妥当であったことを説明できるようにしておかないと、どれだけ援助実績があっても、最後にMDGsが達成できなかった責任を問われかねない。現場で援助をやっている日本人の地道な努力は本当には重要だが、MDGsの文脈で説明する努力を怠ると、2015年の段階になって国際場裏で気がついてみたら全員がこちらを向いている、という事態になりかねない。

 例えば、PRSPを世銀と共同で進めているIMFも既に身を引き始めている。オランダ病(オイルマネーなどで収入を得た故に経済がだめになる)は援助資金に当てはまるという主張を始めているのだ。モンテレイ会議や世銀のコストアセスメントではODA倍増が必要といっているが、倍増するとオランダ病が出るという弊害を考える必要がある、というわけである。世銀の試算通りにODA倍増が実現するとは誰も信じていないが、試算が有効である限り、ODAを倍増させなかったためにMDGsが達成できなかったと言われることになる。しかし、倍増なんかしたら却って問題が生じると示しておけば、試算通りにカネを出さなかったから悪い、という論法を封じることができる。非常に賢いやり方だ。日本もこのような周辺部分の議論で、短期的な結果を目指してカネを注ぎ込むより、持続可能な効果を求めることの方が重要ということを主張して、布石を張っていく必要がある。

 もちろん、2015年段階では成果がはっきり出ないが、2015年以降に効果が発現する(かもしれない)という長期的な援助を実施するというのも、援助としてはあっても良いはずだ。ただし、その際には、2015年段階でその途中経過が正当に評価されるような指標を準備しておくことが重要だ。MDGsを分野別で見ると、水は良い線を行っており、保健は苦戦しているが一部いける。地域で見ると、東アジアは概ねすべての指標で達成しそうであるが、アフリカはやはり多くの目標で駄目だったとなるかもしれない。このように、メリハリがついてくるのが現実である。このような中で確実に言えるのは、2015年以降に、達成できなかった部分をどうするかというイニシアティブが必ず生まれることだ。その際に、MDGsの指標に結果が現れなかったという理由だけで、それまでの援助が正当に評価されないとすれば、不幸なことだ。MDGsに対して懐疑的、批判的になるならばなおのこと、注意深く、日本としてどのように対応するのか充分に議論をしなければならない。

5.オランダ病に加えて、援助量との関係では援助吸収力も勘案しなければならない。IMFはMDGsの文脈て技術協力の必要性を語るが、これは外から見ていて上手な立論だと思う。世銀の試算では、オントラック国(順調にいっている国)では対GDP比援助額が30%で飽和ポイントだという。ちなみに、オフトラック国では6%である。いずれにせよ、援助倍増の暁にはどうしても援助吸収力を超える部分が出てきてしまう。オランダは、だから調和化が必要と主張しているが、日本は何を主張するのか考える必要がある。日本のお家芸がキャパシティ・ビルディングであれば、政府、社会、市民社会の能力強化に取り組み、それを主張していくこともひとつのオプションとして考えられる


6.1995-96年に国際開発目標を議論した際に、日本は熱気のなかで対象国、セクターを決めて取り組んだ。JICAも当時、調査研究をして、その集大成として98年に報告書を出した。相当良い議論をしたが、残念ながら、あのときには何年に何をやる、やらないというところまで議論が煮詰まらなかった。あれだけのオールジャパンとしての作業をしたものが、本棚にさらされているということについて、我々は現段階としてどう考えるか、反省する必要がある。

 大体、タンジブルな援助効果の表出というイシューに関して、日本は2周くらい遅れている。しかし、遅れたまま留まっていたわけでは決してない。新開発戦略の議論華やかなりし頃、何をやったかというと、例えば、JICAでは国別アプローチや開発課題別アプローチに向けて、設立以外類例がない組織の大改革を含め、大鉈を振るった。それまでは右肩上がりの予算をひたすら適正に消化するためのスキーム別の組織編成だったが、それが国と開発課題という二つを軸にする体制に舵を切った。それが今ようやく軌道に乗ってきている。開発課題別セクターポリシーなども少しずつ積み上がってきた。これで1周分くらいリカバーした。結果的には、IDGs後の調査研究報告の提言の多くはそれなりに真剣に取り組まれ、かつ成果を挙げたと言える。あとの1周は、援助の理念や成果についてグローバルレベルで目に見える、タンジブルな形で集計して、自分たちの理念や成果やアドバンテージを語り、さらに新たな課題に向けて実践していく過程で取り戻されるべきことである。

7. MDGの第6目標までのうち、半分は保健や教育、リプロダクティブ・ヘルスでの活動が主になるので、その分野で働く国際機関の経験から、何をどうやればどのような結果を達成できるかが予測できる。例えば、マラリア対策については殺虫剤のついた蚊帳と予防薬があれば目標が達成出来るし、妊産婦の死亡率も産科救急の普及によってはっきり効果がでることがわかっている。基礎教育のような分野でも有効なインターベンション・パッケージができていて、スケールアップに持っていけばいい段階のものが多くある。また、ヨード欠乏症のように安価で効果的な活動を維持していけばいいものもある。結果がほぼ確実に出せるところで、まず当面の結果を出しながら、その他のチャレンジングな目標に対して、上手く学習しながら取り組んでいくと言うことが大事だろう。最初の貧困低減目標もこれらの社会開発目標を達成することで指標が大きく改善されることになる。「ポリオ根絶計画」をはじめ、日本はすでのそのような分野での貢献をはじめているので、現場に強くNGOなども動員できる国際機関と協力しながら、徐々に大きなリーダーシップをとっていくことが重要だ。ODAの20%をこれらの「基礎」社会開発目標にシフトすることで、目に見える結果が出せる。(現在は5%程度)世界的コンセンサスのあるところで、結果のわかりやすい貢献をするということは、日本のODAへの支持を内外ともに大きく高めることになる。

8. ローコスト・ハイインパクトが短期的に実現しそうな課題が部分的に含まれていることはわかる。しかし、例えば、マラリア対策の蚊帳は誰が買うのか、誰がどこまで運ぶのか、いつまで支給し続けるのか、そこにサステナビリティはあるのか。援助をいつ辞められるのか。援助現場を知る者の視点からは、国際機関や他のドナーが考えている処方箋に対して疑問点も少なくない。

9. 私は米国のNGOに勤務しているが、昨年9−11月に上司にMDGsの扱いについて説明したところ、反応は芳しくないばかりでなく、政治的にも今後の動向が読みとれずリスキーではないかという指摘も受けた。現在ドナー間でMDGsが議論されているが、政府以外のセクターから見ると、今一つ何をやっているのかがわからない。ゴール設定は良いが、今度世銀なり他のドナーがどう変わるのか、不透明なところがある。

 日本としてMDGsにどうコミットするのかという問題は、選択肢の問題であるとも理解できる。達成見込みあるところに援助するのは1つの選択であり。他方、難しいところに敢えてチャレンジすべきである、という選択もある。

10.民間投資との関係でMDGsの位置づけをどうするかといった議論を開始することが重要である。その中で、為替取引税なども視野に入れて議論がなされるべきであると考える。

11.MDGsを見ると、駆け出しはうまくいっても、結局挫折してしまうようなダイエットプログラムのようである。特に最近、開発援助業界以外の人と話をすると、MDGsを語る以前に、日本国内が危機的な状況なのになぜODAを出すのか、日本国内の問題を解決することが先決ではないか、と言う手厳しい批判を受けることが多い。MDGsに対する日本の貢献策を考えることも重要だが、それを「利用」して、日本の開発援助の有効性をMDGsの観点から国民に対して示していく努力も大切ではないか。

12.ターゲットを明確に意識した報告は重要であり、これまでのやり方を見直す良い機会だと思う。皆の共感を得られる議論は何かをしっかりと議論すべきである。例えば、大抵の日本人は、国際社会における名声を得たいと希望しているが、これはある意味で、国際公共財というよりは限定的な財であることが少なくない。欧米がやっていること、欧米が顕示しているプレゼンスに対して、日本がそれにとって代わろうとするのか、あるいは、日本は、また別のアプローチ、別の個性を発揮して、国際社会にアピールしようとするのか、その辺りも含め、真剣に議論すべきである。

13.日本の開発戦略は、投資や成長に向けた援助が中心であり、それは今後とも続くだろう。他方、MDGsはこのような成長戦略をとる裏で取り残される層の問題をクローズアップしたし、そのような問題を担う人たちが主に担いでいるイニシアティブである。これまで、日本はこれらのMDGsを担ぐ人と補完しあいながらも別個にやればよいという印象を持っていた。

 しかしこのMDGsというのが大化けしてしまった。成長、投資に対する援助はどうせ続くといったが、そうではなく、MDGsを担いでいる人の中には、成長アプローチの失敗がもたらしたアンチテーゼとしてMDGsを位置づけている人もいるようだ。例えば、アフリカにいくら金を注ぎ込んでも駄目だったという援助疲れの面もあるのではないか。MDGsが唯一の包括的な開発戦略の目標として定着してしまうと、日本のやってきた成長志向のアプローチが評価されなくなる恐れがあり、私はこれを心配している。日本が何をやっているかは解釈・説明の問題という面もあり、これまでやってきたことを必ずしも変える必要はないとも言える。ただし、MDGsの指標に照らしてみると、日本の貢献はかなり説明しづらいのも事実である。

14.日本がMDGs、またPRSPresult-based management等への動きに貢献しつつ存在感を確保するために、途上国における統計分野のキャパシティビルディングでイニシアティブを発揮することを提案したい。今後、MDGsの達成度やPRSPの成果のモニタリングに際しては、統計の整備が鍵となる。この分野で充分な知見を蓄積することは、今後日本がバイやマルチの支援を(広報・開発効果の双方の意味で)効果的に展開するための布石として良い投資となるものである。また、途上国側のキャパシティビルディング関連なので日本国内でも支持・理解が得られやすい。

JICAの技術協力だけを見れば過去の実績はそれほど多くはないかもしれないが、オールジャパンとして見れば、国連ESCAPSIAP(アジア太平洋統計研究所)を千葉県に受け入れて経費の多くを負担しており、またIMF、世銀、米州開銀等の国際金融機関でも日本基金等を通じた技術協力やコンサルティング等の支援を行っている。これらを総体として活用すれば、日本として実弾(具体的支援)を背景としたメッセージを発信し、貢献をアピールできるはずである。

 欧州や米国もこの分野の重要性(旨味?)に気づいて既に動き始めており、ゆっくり検討していると、他のドナーに全て先取りされてしまう。日本として行動を起こすためには、関係者をとりまとめナレッジマネジメントを行うための部局と若干の要員が必要であるが、日本の得意分野として確立すべく早めに何らかの方向性が打ち出されれば良いと思う。

15.開発援助という営為に常に伴う「不完全さ」に対して厳しくかつ謙虚な認識を持ち続けることと同時に、その「不完全さ」を理由に物事を諦観しないことの大切さを最後に改めて強調しておきたい。「不完全さ」という点では何事もある程度はそうだが、たとえば、日本の国内公共事業との比較で、途上国相手の国際協力が如何に予測可能性の低い状況の中で実施されざるを得ないか、といった点も踏まえた議論がもっと日本でなされるべきである。今回は、MDGsという題材で議論をしたが、MDGsその他国際目標や国際的な枠組みの欠点をあげつらうことは易しい。また、それらと日本の開発援助のアクティビティとの距離感には相当なものがあるという厳しい現実もある。要は、それらとの対峙のプロセスで、日本が目指すことは何か、日本の国際貢献の在り方は何か、を常にプロアクティブに考えていく姿勢である。

【参考資料】

BEST OVERALL MDGS ON-LINE SOURCES:

http://www.developmentgoals.org/ (World Bank)

http://www.undp.org/MDGs/ (UNDP)

United Nations

Annual session of the UNDP Executive Board, Address by Mark Malloch Brown, Administrator, UNDP, 24 June 2002

In this address, Mr. Brown notes that the MDGS lie at the heart of the agenda.

http://www.undp.org/dpa/statements/administ/2002/june/24jun02.html

Statement of Action “Campaigning for the MDGS in Central and Eastern Africa”, Addis Ababa, 19 June 2002. (Final report due mind-July).

Between the 19th and 19th June of 2002, a distinguished group of Government Ministers and Officials, representatives of Civil Society, the Private Sector, Bi and mulit-lateral donors, Bretton Woods Institutions, Regional Bodies, and UN agencies convened in Addis Ababa to deliberate on the Millenium Development Goals (MDGS) in Central and Eastern Africa.” Promote cooperation and action in pursuing the MDGS.

Soon to be released on http://www.undg.org/index.cfm

Report of the Zedillo Panel to the Secretary General, International Conference on Financing for Development, March 2002

This report covers various subjects pertinent to the MDGS, and in particular, includes an annex on costing the development goals.

http://www.un.org/esa/ffd

UN General Assembly “55/2. United Nations Millenium Declaration”, September 2000

http://www.un.org/millenium/declaration/ares552e.htm

UNDP Draft Strategy “Moving forward to help meet the MDGS”, February 2002

(internal document. Not for public.) Includes a clear overview of the MDGS, Millenium Project, MDGS Reports, and MDGS Campaign.

UNDP Summary Report “Financing the Development Goals: an analysis of Tanzania, Cameroon, Malawi, Uganda and Philippines”, March 2002

An overview of progress towards and financing of the MDGS.

http://www.undp.org/index.cfm

UN CEA-SURF Report “Millenium Declaration Goals (MDGS) ? Central and Eastern African Mapping in 14 Countries”

An overview of selected countries (un)likelihood of meeting the MDGS.

http://www.undp.org/index.cfm

UNDP report on progress towards the MDGS “MDGS ? Are they feasible?” Jan Vandermootele, June 2002

An overview of progress towards the MDGS, including some costing analysis. http://www.undp.org/MDGs/

UNDP-UNICEF report “Development Goals in Africa: Promises and Progress”, June 2002

http://www.undp.org/MDGs/

World Bank

World Bank Press Release “The Costs of Attaining the Millenium Development Goals”, 2002

http://www.worldbank.org.data/MDGs/Research.htm

World Bank report “Achieving the Goals”, 2002

http://worldbank.org/data/MDGs/Achieving_the_Goals.htm

World Bank Report “World View”, March 2002

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IMF Staff article, “Globalization: A Framework for IMF Involvement”, March 2002

http://www.imf.org/external/np/exr/ib/2002/031502.htm

IMF Staff article, “The Role of Capacity-Building in Poverty Reduction” 15 March 2002

http://www.imf.org/external/np/exr/ib/2002/031402.htm

EC

EC Commissioner Nielson’s speech at the European Parliament on the occasion of the Seminar on Development Policy Targets and Indicators, 26 February 2002.

MDGS are incorporated into the European Commission’s development goals. He mentions the need for improving data to improve measurement of progress towards the MDGS.

http://europa.eu.int/comm/commisioners/nielson/speech/20020226_en.htm

Japan

Ministry of Foreign Affairs of Japan “BEGIN: Basic Education for Growth Initiative”, June 2002

Japan’s approach for future Japanese assistance in the field of basic education, with reference to the MDGS.

http://www.mofa.go.jp/region/africa/education3.html

U.K.

Department for International Development (DFID), Departmental Report 2002, Annex 2: Achievements against DFID's Public Service Agreements, pg. 115 - 120

http://www.dfid.gov.uk/

U.S.A.

Undersecretary of State for Global Affairs, Paula J. Dobriansky “Goals at the World Summit on Sustainable Development”, 6 June

The U.S. is committed to building effective partnerships for sustainable development, linked and built upon the MDGS.

NGOs and Institutes

Report by an NGO on the occasion of the G8 Summit in Kananaskis, “Halfway There? Fighting Poverty Together”, Action Aid, June 2002.

This report is an NGO’s constructive view of progress towards the MDGS. Actiona Aid calls on the G8 to lead in the following areas: increase aid volumes and improve aid qualit7y, eliminate trade barriers, support the World Bank’s Education for All initiative, double contributions to fight HIV/AIDS.

http://www.actionaid.org

Using the Millennium Development Goals (MDGS) as a Basis for Agency Level Performance Measurement, IDS Paper by Howard White, June 2002

Paper provides background on International Development Goals (IDGs) and MDGS and discusses desirable properties of performance measures, their use and appraises MDGS against these requirements. It also examines the use of MDGS at DFID and how they have addressed related problems.

http://www.ids.ac.uk/ids/pvty/pdf%20files/MDGS.pdf

Newspaper articles

UN Wire -"UN Celebrity Goodwill Ambassadors Highlight Humanity, Unity", 20 June 2002

Danny Glover, Roger Moore, and Angelina Jolie, among others, were briefed on MDGS as a common unifying message in a two day meeting held at UN Headquarters last week.

http://www.unfoundation.org/unwire/2002/06/20/current.asp#27179

UN Wire - "Ahead of G-8 meeting, Annan urges support for Africa, action on Millennium Goals", 19 June

In an open letter to Group of Eight leaders preparing to meet for their annual summit, U.N. Secretary General Kofi Annan called on the countries to keep commitments made to developing countries in the last year and to act decisively on global concerns in the Millennium Development Goals, the United Nations said yesterday.

A lesson in development, Financial Times article by Gordon Brown, June 18

Mr Brown, the chancellor of the exchequer in the UK and Sir Edward, the governor of the Bank of England, make the case for an increasing ODA for education quoting the UN MDGS of allowing every child the chance to go to school by 2015. This argument was encouraged by the recent meeting of the G-8 countries in Halifax where there was a to support developing countries that have credible education plans and strong policy commitments in place. The Group of Eight will meet again for their annual Summit in Alberta on June 26-27.

UN wire -" NEPAL: Country Falls Short Of Development Goals, U.N. Says", 11 June

Note that this UN wire story originally attributed Nepal's MDGSR to the World Bank due to a mistake in transcribing story from an Associated Press article; it has since been corrected in the archives.

http://www.unfoundation.org/unwire/2002/06/11/current.asp#26940

UNDP Newsfront: Report says Nepal lags on key development goals, 11 June http://www.undp.org/dpa/frontpagearchive/2002/june/11jun02/index.html

Nepal's MDGSR can be found at undg.org (under implementing the Millennium Declaration) and undp.org (under MDGSection)

 

(以上)