ワシントンDC開発フォーラム
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バングラデシュ開発援助ネットワーク

−国別援助政策強化の新たな試み−

 2002年5月23日、ワシントンDCにて、政府、実施機関、世銀グループ・米州開銀・IMF、企業、NGO、シンクタンク・大学、メディア等の経済協力関係者約30名が、バングラデシュ開発援助ネットワークを題材に、国別援助政策強化の方策について、昼食を交え個人の資格で意見交換を行ったところ、概要次の通り。

【ポイント】

  1.  昨年
12月にスタートした「バングラデシュ開発援助ネットワーク」の目的とす るところはネットワーク参加者間でナレッジ・シェアリングを行うことにある。対 バングラデシュ開発援助に関わるリソースとナレッジを集結し、ネットワーク間で常にアップ・デイトされた情報を共有し、我が国として「発信」しなくてはいけないときに有効に稼動することを目指した試みである。

 

冒頭プレゼンテーション担当:岡崎 克彦(おかざき・かつひこ)―――――――――――――

1959年東京都生まれ。1983年学習院大学法学部卒業。同年日本輸出入銀行入行。大蔵省出向、総務部、海外経済協力基金出向、財務部、営業第2部などを経て、19983月より日本輸出入銀行ワシントン駐在員事務所次席駐在員。199910月に日本輸出入銀行と海外経済協力基金との統合によって国際協力銀行が発足した後も、同行ワシントン次席駐在員を勤め、20019月より本店開発第2部第3班課長としてスリランカ、バングラデシュ、モンゴル向け円借款業務を担当。

(本稿は発表者個人の見解であり、所属先、ワシントンDC開発フォーラムの立場を述べたものではない。)

【冒頭プレゼンテーション】

1.はじめに 

 私は19983月に当時の日本輸出入銀行(輸銀)のワシントン駐在員事務所次席駐在員としてワシントンに赴任し、199910月に輸銀と海外経済協力基金(OECF)の統合によって国際協力銀行(JBIC)が発足した後も、同行のワシントン駐在員事務所次席駐在員として昨年8月までワシントンに駐在した。昨年91日付で本店に復帰、バングラデシュ・スリランカ・モンゴル向け円借款を担当する開発第2部第3班の課長となり、現在に至っている。

今週はたまたまJBICと世銀の年次協議会があり、そのメンバーとしてワシントンに滞在している。本日は昨年12月に発足した「バングラデシュ開発援助ネットワーク」について話して欲しいと仰せつかったが、突然の依頼であり、準備もしていないため、まとまりのない話となることをあらかじめ承知の上でお聞きいただきたい。


2.「バングラデシュ開発援助ネットワーク」発足の経緯

 ワシントンに駐在した3年半は、国際金融機関のあり方が問われ続けた3年半でもあった。赴任当初は、アジア通貨危機に見舞われた国々に対する支援として、我が国政府が打ち出した「新宮沢構想」の具体化に向けて世銀・との調整に追われたが、通貨危機がロシア、ブラジルに伝染していく中で、米共和党を中心に「ブレトン・ウッズ体制」に対する批判が高まった。他方、世銀・IMFは貧困削減を第1の活動目標に掲げるようになり、PRSPのプロセスが具体化するようになった。3年半の駐在員生活はそうした時期と重なった。

これらの動きやその背景を東京に報告し続けていく中で、自らの関心が我が国の対外援助のあり方にも及ぶことになった。特にPRSPのプロセスに我が国がどう立ち向かっていくべきかということに大きな問題意識を抱くようになった。そしてその問題意識は本店に復帰して、実際にバングラデシュ・スリランカ・モンゴルといった国々を担当するようになってますます深まった。

いずれの国においても我が国はバイのトップドナーである。そのことはボリュームから見れば、JBICが国際機関を含めて最大級の援助機関であることを同時に意味するが、その我が国があるいはJBICが、あらゆる関係者(ステークホルダー)の参画を前提に進められている各国のPRSPのプロセスを無視して、独自に援助を進めていくことは許されない。ではどう向き合えばいいのか。

そうした問題意識から、まず3ヵ国のうちでバングラデシュを取り上げ、これまでの旧輸銀、旧OECFの活動状況や成果を振り返り、無償資金協力による支援や国際協力事業団(JICA)の活動、あるいは我が国民間企業のビジネスの状況やNGOの活動、専門機関や学者の研究成果を調べることにした。その結果、当然のことではあるが、それぞれに相当の経験と蓄積があることがわかった。しかしそれぞれが結ばれることなく、孤立しているような状況にある。それらを有機的に結びつけることで何かできるのではないか、ということに思い至った。それぞれが持つリソースとナレッジを集結し、我が国全体の対バングラデシュ支援の向上に向けた議論の場を設けることができれば、単なる情報交換にとどまらず、例えばPRSPのプロセスに対しても我が国として有効なインプットを行うことが可能となるのではないかと考えるようになり、昨年11月から関係者に声をかけ始め、12月に「バングラデシュ開発援助ネットワーク」をスタートさせることになった(《別添》ネットワーク概念図参照)。


3.「バングラデシュ開発援助ネットワーク」の活動

 本ネットワークの発足に当たって、その目的として、(1)バングラデシュの政治・経済・社会情勢に関し、我が国の対バングラデシュ開発援助を担う主要プレーヤー間で情報交換を行う、(2(1)をベースとして、バングラデシュの主要開発目的(経済成長、貧困削減、ガバナンスの改善など)について論点を整理する、(3(2)を踏まえ、現在、策定段階にあるバングラデシュのPRSPを参加者間で検討し、現場での議論に対してオールジャパンとしての意見をフィードバックする、(4) (1)(3)の議論を踏まえ、我が国の対バングラデシュ開発援助の主要プレーヤーがそれぞれ何を行い、どのように協調・協働していくべきかを議論し、今後の対バングラデシュ支援に向けてオールジャパンによるアクション・プランを策定する、(5)議論の過程および成果は参加者間でナレッジ・シェアリングを行う。その際、常にアップ・デイトされた情報を共有し、例えば「バングラデシュ開発フォーラム」やローカル・ドナー会合など、我が国として「発信」しなくてはいけないときに有効に稼動できるネットワークの形成を最終的な目標とする、ということを掲げた。その目的の下に、外務省(経済協力局関係各課、アジア太平洋局南西アジア課)、経済産業省(貿易経済協力局資金協力課)、JBICJICA、日本貿易振興会アジア経済研究所、IMFアジア太平洋地域事務所、日本バングラデシュ経済委員会(事務局:日本・東京商工会議所)、そしてバングラデシュで活動している我が国の主なNGOに参加していただいており、現在はJBIC開発第2部第3班が事務局となっている。また東京サイドでのこうした動きに呼応して、ダッカでも同様の枠組がスタートしている。

 昨年12月以降、東京ではバングラデシュの政治、経済、社会(教育)をテーマにした勉強会を実施した他、PRSPのプロセスに対してはPRSPそのものをテーマにした勉強会と、2月にダッカで開催されたPRSPセミナーの報告会を実施した。今後は、当面の目的でもあったPRSPのドラフトの検討とコメントの作成を行うことになる。また、地方を活動拠点とするNGOや学者からもネットワークへの参加希望が寄せられているところである。

 

4.これまでのバングラデシュ向け援助に対する反省

当初、PRSPのプロセスに如何にインプットを行っていくかという問題意識の他に、私自身の問題意識として、旧OECFJBICが行ってきた円借款による対バングラデシュ支援に対する反省があった。バングラデシュに対しては円借款だけで約5500億円を供与してきたが、その成果は何だったのか。経済インフラ案件を中心に円借款を供与し、バングラデシュの経済発展に一定の貢献を果たしてきたことは間違いないとしても、貧困といえばバングラデシュが想起されるほど、なぜ依然としてバングラデシュが最貧国にとどまっているのかということに対する反省である。最近ではその理由としてバングラデシュにおけるガバナンスの欠如といったことが盛んに指摘されているが、それはバングラデシュ側の問題としてだけ理解されるべきものではない。円借款においてもトランザクション・オリエンテッド・アプローチ、即ち要請されたプロジェクトに対する支援に終始し、セクター改革への取り組みやソフト面での支援が十分ではなかったのではないかという反省があった。そしてこれらの課題に正面から取り組んでいくためには国際機関や他のバイのドナーとの協調が重要であり、また彼らと協調していくためにはJBICだけでは非力であり、我が国のリソースとナレッジを集結させることが必要だということを強く認識するようになった。

私は自分の班員に対しては常々、「円借款の御用聞きから仕事を始めるな」ということを言っている。自分が担当しているバングラデシュという国に対する理解から入り、問題・課題は何か、何が発展の阻害要因なのか、どのような支援をすべきなのか、国際機関や他のバイのドナー、あるいはわが国の民間企業は何をやっているのか、NGOはどうか、どういった学問的蓄積があるのか、といったことを十分に把握した上で、JBICによる支援が適当なものがあれば取り上げていけば良いと言っている。

 

5.今後の方向性

最近、「顔の見える援助」という言葉をよく耳にする。そして「顔の見える援助」として我が国企業が案件を受注することを挙げる向きもある。しかし、我が国が、どこで、どういう顔を見せることができるかが重要なのであり、その意味では「声が聴こえる援助」という発想こそがより重要なのではないかと考えている。例えばあるプロジェクトに対して円借款を供与する場合、そのプロジェクトの対象セクターに問題はないのか、あるとすれば円借款による支援を通してその問題にどう取り組んでいくのか、場合によってはコンディショナリティのようなものを設けてはどうか。そうしたアプローチによって開発途上国が抱える開発の諸問題の解決に我が国として主体的に取り組んでいくことができるのではないか。従来、こうした発想は二国間援助には馴染まないとされてきたが、今後はそうした受身的な姿勢を改めていくべきであり、それこそが「声が聴こえる援助」ではないかと考えている。

バングラデシュを対象に始めたこの試みを国別援助政策強化の先例として位置付けていただいているようでもあるが、国によって条件も異なるのでこうした取り組みが唯一である必要はない。またバングラデシュを対象にこのようなネットワークが出来た事由として、国が小さいゆえに主体的に問題意識を持っているプレーヤーの把握が容易であったこと、そしてバングラデシュでは我が国のNGOが活発に活動していることを受けて、我が国のNGOと外務省、JBICJICAとの間に従来から対話の枠組が存在していたということも指摘しておきたい。

私が担当している他の2ヵ国でも「開発援助ネットワーク」を始めないのかという疑問を持つ方もいると思う。実際のところ、バングラデシュだけでも結構大変なので、これまでのところは同じような枠組作りに着手していないが、例えば担当国の1つであるスリランカでは、2月に過去18年間にわたって続いてきた内戦が終結し、無期限停戦が成立した。そして今、スリランカは、この停戦を機に和平の道筋を確固たるものにするという課題に直面している。我が国としても、当面、和平をどう定着させるか、「平和の配当」を如何に実現するかということにエネルギーを集中しても良いのではないかと考えており、JBICもポスト・コンフリクト支援のあり方の提言を外部専門家に依頼している。そうした活動を通じて結果的に自然とネットワークのようなものが構築されることになるかも知れない。

我が国の対外援助をめぐる課題は多いが、様々な課題に能動的、主体的に取り組んでいくためには一層の体制の強化が必要である。「バングラデシュ開発援助ネットワーク」はその一例である。

 

【席上出された意見や質疑応答】

1. これまでアジアの様々な国を周ったが、バングラデシュは珍しくオールジャパンが結束している国という印象を受けた。他にラオスもそうだったが、バングラデシュはそれ以上である。その要因として、国が小さい、住んでいる日本人が少ないということもあろうが、在バングラデシュOECF事務所長(当時)の個人的なリーダーシップが全体を引っ張っていると感じた。やはり、このようなネットワークは、取りまとめ役のリーダーシップが重要である。この点で、岡崎氏が推進されている「バングデシュ開発援助ネットワーク」の活動の成功をお祈りするとともに、そこでの岡崎氏のリーダーシップに期待したい。

 バングラデシュにおける活動が直面する困難には、政府のガバナンスの悪さや気性の荒い労働者の存在といった問題が含まれる。特に、ハルタル(ゼネスト)を頻繁に行い、時には暴動を起こしたりするような気質の労働者をどう管理するかは重要な課題である。「バングデシュ開発援助ネットワーク」においてはこのようなバングラデシュ特有の難しさを踏まえて良い形での援助を実現するために議論を展開してもらいたい。

→(岡崎克彦)確かにバングラデシュは小さな国土に1億人もの国民が住み、一方、国内で生産される原材料がほとんどないといった厳しい条件下にある。加えて宗教がイスラム教である、建国の経緯から政権がよく交代する、ハルタルがよく行われるといった難しさがある。昨年10月の総選挙の公約としてハルタルはやらないことを掲げた与党が総選挙に敗れるなりハルタルを行うといった有様である。バングラデシュに関わっている国内外の関係者に共通していることは、仕事をする上で非常にエネルギーを必要とする国であり、エネルギーを使ってもガッカリさせられることが多い国と感じている人が多いということである。この国に対するアプローチには、同じ問題意識を持っている人々の間でも様々な意見がある。電力セクター(除く地方)を例に取ると、世銀は改革が示されない限りは支援しないというスタンスであるが、ADBや我が国はそこまで厳しいスタンスではない。またご指摘のあった労働問題のようにすぐれて国内問題である政策課題にドナーがどう取り組んでいくことができるかは、なかなか難しい問題である。

このようにバングラデシュの難しさを挙げ始めればきりが無いが、はっきりしていることは、そのバングラデシュもグローバリゼーションと無関係に生きていくことはできないということである。バングラデシュの主力輸出品は縫製品であるが、2005年にはMFAが失効し、国際競争の荒波にさらされることになる。そのことを念頭にバングラデシュは経済政策や構造改革に取り組んでいかなくてはならないはずであり、ドナー側も厳しい態度で「改革」を求めていく必要があると考えている。

2. 「バングラデシュ開発援助ネットワーク」の立ち上げに当たって、実際のところの反応はどうだったか。

→(岡崎克彦)日本政府の反応として、こういうことがやりたかったとの反応があった一方で、ODAが減額される中で我が国にとって、もっと重要な国でこうした取り組みを行うべきではないかとの指摘があった。またJBICがリーダーシップを取ったことに対して疑問を持つ向きもあった。NGOとの関係だが、従来からNGO側に自分たちをもっと活用して欲しい、あるいは円借款の対象事業に参画したいとの声があったことを受けて対話の枠組が存在していたこともあり、積極的に参加していただいている。今後、ネットワークでの議論を通してそれぞれのプレーヤー間で具体的な連携が深まることを期待したい。また学者の中には、バングラデシュが抱える問題点はわかっていてもその解決に向けて誰に何を言えばいいのかがわからなかったとする方がいた。そうした専門家の意見を汲み上げることができればいいと思っている。

3. 日本ではPRSP批判があるようだが、その実態を聞きたい。

→(岡崎克彦)PRSP批判の多くは、内容についてではない。PRSPは世銀やIMFのイニシアティブなのでいずれ失敗する、これまでもひどい目にあった、ということを言う人が少なからず存在することは事実であるが、これまでのアプローチとは全く異なったものであることをきちんと認識すべきではないか。また内容としてよく指摘されることであるが、貧困削減を強調するあまり、成長の重要性といった視点が十分ではないかといった意見を聞くが、実際にPRSPの策定にJBICが深く関わったベトナムのケースでは、成長の重要性が強調されたものが策定されたと聞いている。世銀批判、IMF批判にはいろいろあるが、PRSPのプロセスは全てのステークホルダーに対してオープンであることが大きな特徴であり、批判する方々に対しては、批判する前に一緒に議論に加わって欲しいと思う。

4. PRSPについて、「批判するだけではなく建設的な取り組みを」、というご指摘にはもっともだと考えるが、あえて異論を言えば、そもそも日本がPRSPそのものに反対した、ということを聞いたことがない。国内でPRSPについて不快感があると聞いてはいるが、PRSPを進める側に伝わらなければ、批判したことにもならないし、気味が悪いと感じられるか、そのうち無視されることを怖れる。JBICは機会ある毎にインプットしていると聞いているが、そうした対応が日本の声として伝わるようになればと思う。成長という要素は、日本の立場から常に出てくると思われるが、ベトナムの例をきっかけに、そういう例が増えてくれば次の対象国にも利益があるだろう。

スリランカでの経験として、日本が議論に加わることで相手国の利益になる余地が大きいという事例を紹介したい。かつて、日本と世銀が共同で支援したマハヴェリ開発プロジェクトという地域総合開発事業があった。実施機関が肥大化したため、その合理化を図ることになったとき、世銀が構造調整融資として、勧奨退職制度の導入などスリム化を図る事業を行った。今になって、そのスリム化の仕組みが、結果として必要な人材の大量流出を伴う急激なものであったと、スリランカ側や他ドナーから指摘されているようだが、事業の計画段階でそのリスクを指摘したのは、当時の

OECFだけであったと聞いたことがある。残念ながらその声は最終的に聞き届けられなかったようで、プロジェクトを変更するには至らなかったとのことであるが、トップドナーの付加価値というのは、カウンターバランスとして別の考え方を提示すること、いざとなればその実現のためにリソースを割く力がある、というところにあると考える。

→(岡崎克彦)想定問答的にいえば、バイの立場で内政問題にどこまで関わることができるのかという問題があるが、これからは言うべきことは言っていくといった姿勢が必要になってくる。その際、あくまでもドナーによる支援の便益を受ける当事者は開発途上国の人々であるという視点を持つことが必要であるが、そのことは常に開発途上国の側に立つということを意味するものではない。また改革の支援に当たって日本の経験が活かせる分野がある場合には堂々と議論に参加していくべきだと思う。

5. 横の連携として、日本の中で「バングラデシュ開発援助ネットワーク」のようなオールジャパンとしての枠組を作ったときに、政策から実施までバランスを持って対応できるのか。残念ながら、アップストリーム(最初のポリシー)が弱いという現状の下で、オールジャパンで連携してみたところで、頭が小さくて尻ばかり大きく、になってしまうのではないかと思う。それを改革する方法として、援助を受け入れる国の状況についての理解も大事だが、日本と他国との連携、例えばエネルギーなどの分野レベルでの連携も活用できるのではないか。

→(岡崎克彦)従来の我が国の経済援助はあくまで案件主体であったために、アップストリームの取り組みが弱かったことは事実。正直申し上げて、ナレッジといった面で私たちにどの程度の力があるのかについては自信がない。これまでの我が国に対する期待はあくまで資金量であったが、日本の経済援助の背後に存在した日本経済の強さというものが崩れつつある中で、我が国としてナレッジ面で如何なる貢献を担っていくことができるかはチャレンジであろう。我が国の製造業の発展を支えた技術力は、開発途上国でもまだまだ必要とされるものがあり、そうした技術力を伝えることができる人材の活用は現に行われている。本当に弱いところは、政策面で貢献できる人材の不足ではないかと思う。プラントの現場に入っていく技術者はいるかも知れないが、セクターの政策に提言できるセクターエコノミストとなると、経験的に人材の面で非常に弱いという印象がある。

6. 他のドナーとの関係について、日本にはシェアするようなナレッジがないのではないかということだが、そうであっても現実に日本は相当な援助を実施しているわけであり、その援助内容につき他のドナーと情報をシェアし、協調を図るところからスタートすべきではないか。将来的にはより高いレベルのナレッジをシェアできるようになることを目指すべきだが、それはシェアできるナレッジが蓄積されるまでは他のドナーと情報を共有しない理由にはならない。

→(岡崎克彦)ご指摘の点に異論はないが、現実問題として援助の現地化が進む中で、我が国がドナー・コミュニティの中で如何にして影響力を行使していくかという問題も真剣に検討することが必要ではないかと思う。世銀や

ADBは国別支援戦略の立案責任者をカントリー・ディレクターとして現地に派遣しているが、我が国はそういった体制にはなっていないし、そもそも現場に権限を下ろすという発想自体が馴染まないという面があるかも知れない。他のドナーと情報をシェアし、協調していくためには、一方的に情報提供を願い出るのではなく、双方向の関係を築くことが重要であり、それができる人材の育成と体制のあり方を検討しなくてはならない。

7. PRSPに成長をどう組み込むかが問題である。PRSPに対応したIMFのファシリティであるPRGFを引っ掛けてGRPF、即ちグロース・リダクション・アンド・ポバティ・ファシリティと冗談で言う人がいるように、限られたリソースの下では貧困削減と経済成長はトレード・オフの関係にあるとの考えが根強い。PRSPのアプローチとして、アジアのように成長による貧困削減を目指す方が適切な場合と、サブサハラアフリカのように貧困削減をともかくやらなければどうしようもない場合とがあるとすれば、その分水嶺がどこにあるのかを見分けることが重要ではないか。バングラデシュはアジアにありながら丁度この分水嶺の近くに位置すると思われるが、どうか。

→(岡崎克彦)現実問題としてPRSPを策定する開発途上国にとって何がインセンティブになっているかといえば、IMFからより長期かつ譲許的な条件であるPRGFを借りたいという面があることは否定できない。事実、バングラデシュも911日の米国での同時多発テロ以降に輸出が急速に落ち込み、外貨準備が大幅に減少したことを受けてPRSPの策定が急ピッチで進んでいるという面がある。

それはともかく、アフリカのPRSPを読んだことがないので比較することができないが、貧困削減に成長が必要だということを否定する人はいない。バングラデシュといえばアジアの最貧国としてのイメージが強いが、90年代を通じて年平均5%の経済成長を達成してきた国でもある。そのバングラデシュで更に貧困削減を削減するためには一層の成長が必要である。おそらくPRSPではバングラデシュが抱える様々な問題の対策が示される一方で、成長の重要性も強調されたものになるのではないかと思われる。

8. PRSPにおいて、我が国の意見をどう取り込ませることができるかだが、最後の段階における勝負がある。勝負とは即ち、日本的な開発方法である、実体経済主体型支援策をどう取り組ませるかということである。PRSPはあくまで受益国の自主性(オーナーシップ)を拠り所として作成される。その意味では、地道な対話を受益国政府の各階層との間で行い、現実的な経済活性化の方策について、理解を得ておくことが何よりも大事である。ベトナムは比較的日本が主導権を取れた例だと思うが、その背景としては、ベトナム政府に反米思想があり、またドイモイによる自主発展の思想に加え、石川教授による1995年以来の地道なスタディと産業発展の必要性の認識があったことが、我が国をして唯一のコーディネーターに押し上げたということではないかと思う。バングラデシュはどうだろうか。円借款のコミットメント額など他のドナーに比較すればかなり大きいとは思うが、我が国のプレゼンスを十分に発揮していくためには外交も含めたバックアップが必要ではないかと思う。

 

(以上)