世銀と日本の関係は如何にあるべきか

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2002年3月11日

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 2002年3月11日、ワシントンDCにて、政府、実施機関、世銀グループ・米州開銀・IMF、企業、NGO、シンクタンク・大学、メディア等の経済協力関係者約30名が、ドナー調整会合において日本がいかに関与していくべきかについて、昼食を交え意見交換を行ったところ、概要は次の通りです。

目   次

ポイント
本文

はじめに−なぜ世銀が重要か
現状分析
今後の方向
コメント・意見 
日本の外交戦略
オールジャパン意志決定システム 
世銀の重点の変化 
国連・ブレトンウッズ機関
国民の理解 
その他 
資料・リンク

【ポイント】

● 日本の現状及び国際環境を考えれば、日本は世銀を無視し得ないどころか、むしろ重視して関係を強化することが日本にとってもプラスになる。

● しかし、日本の経済状況の悪化とナショナリズムの高まり世銀の貧困削減重視と技術協力・グラント・知識共有への傾斜という新たな変化の中で、世銀と日本の関係が希薄なものとなる要素が多い。

● その中で、世銀と日本の関係強化のためには、まずは対アジア戦略における協力が重要であり、特に中所得国、最貧国、地域協力への対応が課題となる。また、日本国内の体制を整備してオールジャパンとしての戦略を構築するとともに、知的交流の活発化による理論武装や世銀側の体制・意識の変革を促すことも重要。

● 日本が対世銀戦略を考えるに際しては、日本の国益と外交戦略を明確化し、それを踏まえて何をしなければならないかを意思統一することが必要。そのために、関連組織を包み込む形での制度的な意思決定システムを作ることが大事。

● 世銀は融資機関だが、貧困削減に性格がシフトしてリターンが期待できない分野に踏み込んだため本質的な矛盾を抱えている(グラント化や中所得国対応等の論点で表面化)。これは、国連とブレトン・ウッズ機関の関係のあり方まで遡って、日本として検討すべき課題。

● 世銀や広く開発問題について、教育等を通じて広く日本国内での理解・認識を深めることも重要。 

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【本文】

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世銀と日本の関係は如何にあるべきか

世銀総裁特別顧問・吉村幸雄氏

 

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(1)はじめに−なぜ世銀が重要か

 ワシントンDCの経済協力関係者による「ODA改革ランチ」は、日本での組織の枠組みを超えて個人の資格で自由かつ活発な議論が行われており、自分も一部参加し記録も楽しく読ませて頂いている。今般、「ワシントンDC開発フォーラム」という形で発展改組し新たなスタートを切るということで大変嬉しく思うとともに、その第1回にプレゼンテーションに招かれたことは光栄である。今回は、以上のようなフォーラムの趣旨に従い、(世銀や財務省といった)組織を背負うのでなく、自分が個人として日頃思っているところを述べるので、それを前提に聞いて頂きたい。

 まず、自分がなぜ「世銀と日本との関係は如何にあるべきか」とのテーマに取り組むこととなったか経緯を述べたい。昨年7月に世銀総裁特別顧問に就任し、その際ウォルフェンソン世銀総裁にアドバイスすべき事項として幾つか言われているが、その中で一番大きなものは、「日本との関係を如何に改善できるか」ということである。個別の事案はともかく、全体的な日本と世銀の関係を包括的にレビューしてはどうかという問題意識があり、幸いなことに世銀の邦人職員有志6、7人がチームに入って手伝ってくれることになった。

 昨年秋、まず世銀の中で日本とのコンタクトがあった人、現在もある人も含め80人近くにインタビューを行い、どのようなコンタクトがあり、現状をどのように認識し、どのような問題があるかを聴取した。本年に入ってワシントンDCのJICA・JBIC事務所、大使館等にいる邦人からもインタビューを行った上、2月には自分及び3人のスタッフが日本に出張し、東京で様々な組織を訪問して日本側関係者から見た世銀に対する意見を伺った。以上の作業においては、単に日本の政府、公的セクターだけでなく、民間企業、NGO、大学・研究者といった、幅広い日本というものを視野に入れて考えている。結果は整理中だが、全体を通して見てみれば、世銀と日本の関係につき何が問題か見えてくると思い、そのような作業をしてきた。その過程で、今般プレゼンテーションを行ってほしいとの示唆があった。

 その中で、まずは世銀と日本との関係をそもそも強化すべきかという論点がある。今回の会合に際して、当初テーマを「如何に強化するか」とする方向で検討されていたが、一部幹事から、そもそもなぜ世銀との関係を強化すべきかという点も含めて検討すべきという意見があり、テーマは「如何にあるべきか」に変更された。自分の立場からすれば、世銀との関係を強化することは与えられた命題であり、疑問を呈する余地はないが、指摘を踏まえて考えれば、確かに日本人として、日本の立場で見れば、なぜ世銀との関係を強化すべきかという点は重要な問題点だと思う。

 日本の立場から戦略的に考えるとすれば、「選択と集中」という発想に基づき、世銀とはほどほどにつきあっておいて、IMFとアジ銀(ADB)に集中した方がよいという見方は、白紙の状態から考えれば選択肢としてあり得る。しかし、日本の開発問題についての現在の経験及び能力は残念ながらまだまだ不十分である。従って、開発問題について世界でリーダーシップをとっている世銀をないがしろには出来ないし、世銀から得るものは多いと考える。

 日本の国家戦略・外交戦略は、国際的にドライに割り切って戦略を大胆に実施に移していくという円熟したところに達しておらず、それにも関わらず中途半端に戦略を振り回すと却ってリスクが大きい。将来的に世銀との関係を大きく見直す可能性を否定し得ないが、世銀と袂を分かつことは現実的戦略とはなり得ない。現時点における日本の実力及び日本が置かれた国際環境を考えれば、世銀を無視し得ないどころか、むしろ重視して関係を強化することが日本にとってもプラスになる、という結論に至らざるを得ないと考える。
 
 
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(2)現状分析

(イ)従来の世銀と日本との関係

 次に現状分析であるが、従来の世銀と日本との関係は、当初は政府が中心であり、日本にとって(これはIMFもそうだが)自国の経済力に見合った出資シェアを獲得し、第二位の出資国に上がるというのが世銀(及びIMF)との関係での最大の願いで、それを達成するためにそれなりの時間を要した。

 その間、日本の貿易黒字が拡大するという国際的圧力があり、また軍事的行動が出来ないこともあり、資金面で国際機関と連携して供与を行うことが課題となった。これには単に出資のみならず、公的機関である日本輸出入銀行(輸銀)、海外経済協力基金(OECF)等が世銀と協調して融資することも含まれる。更に、民間銀行についても丁度日本が資金をどんどん供与していく過程だったこともあり、様々な形態での世銀との協調融資、また日本の民間銀行が世銀に融資するといったことが随分行われた。その次に来るのがPHRD(人材育成)等の信託基金を通じた貢献である。このような形で、時代時代に応じて資金の出し方は変わってきているが、日本は寛大にお金を出すという形で世銀との関係を保ってきていた。この結果、現在世銀では、日本は「お金は出すが口は出さない寛大なドナー」というイメージが作られている。

 日本はこれに満足していたかといえば、本当のところワシントン・コンセンサスに対しては非常に大きな疑問が日本の中にあり、その流れは今でも続いているが、その疑問を大声で口にしたり政策に影響するように持っていくという努力は目に見える形で出来ていなかったのではないかと思う。「東アジアの奇跡」の研究はその中で出てきたものであり、それなりの意味はあったが、日本の主張がはっきり通った形になっておらず、未だに議論が明確にならないままで来ている。その後アジア通貨危機が起こり、東アジアに対する理解について改めて議論されるという結果になっている。

(ロ)最近の日本の変化

 最近になって、日本においても世銀においても、従来とは異なる非常に大きな変化が起こっている。最近の日本の変化について言えば、経済の状況が悪くなり、それと表裏の関係にある財政状況も悪くなっている。かつて世界中に資金を流していた日本の金融機関(特に銀行)は、不良債権問題でいわば凋落した。経済構造が重厚長大から消費財中心に移行・変化しており、トヨタ・ソニーといった国際的に活躍している企業はあるが、全体としては東芝・日立といった名門企業を含め元気がない。政治的には、右よりで、かつ反米・反国際協調のナショナリズムが強くなっている気がする。日本を重視したナショナリズムには良い面もあるが、外から見ていると心配な面もある。中国に対する見方も庶民レベルで反発が感じられる。

 このような経済状況の悪化とナショナリスティックな感情の高まりという政治情勢の中で、ODAの削減、顔が見える援助、日本の国際的支援のアジアへの集中といった議論が出てきていると思う。本年2月半ばに日本に一時帰国した際、日本の国債格付を2段階下げる見通しと発表され、日本の格付はポーランド、ボツワナ並みになるとの報道もなされたが、新聞の投書欄には、もう日本のことだけで手一杯であり、援助を辞めて日本のことに専念してはどうかという意見すら見られた。この投書は、極端な議論ではあるが、以上に述べたような日本の変化・雰囲気を端的に反映していると思う。

 他方、前向きな要素として観察できるのは、開発問題全般に対する一般的関心は高まっていることである。そうでなければNGO活動はそれなりに出てこない。若い人達の中では、開発問題への関わりは以前よりも活発になっていると感じている。

(ハ)ウォルフェンソン総裁下での世銀

 世銀の中での変化については、ウォルフェンソン総裁が就任して、いわゆる総合的アプローチが採用され、包括的開発フレームワーク(CDF)、貧困削減が強調されるようになった。わかりやすく言えば、必ずしも実態を正確に反映しているとは思わないが、インフラ重視から貧困削減重視へという議論になっている。方法については、従来の融資中心から、融資も重要だがそれだけでなくTA(技術協力)やグラント(無償資金協力)、更には知識をシェアしていく、その流れでITも絡む、というところへ重点が移ってきている。また、できるだけ民間セクターを重視し、民間ができることは民間にやってもらおうという方向性になってきている。

(二)世銀と日本の関係変化

 以上述べた日本の変化と世銀の変化を重ね合わせると、世銀と日本の関係がどう変化しているかが見えてくる。

 日本の経済・財政事情から、資金面では厳しくならざるを得ないという状況が顕在化しつつあるように思う。資金面の関係が薄くなれば、日本と世銀の双方とも、お互いに対する関心が薄れてくるのは否めない。これは当たり前のようであるが、かなり大事なポイントである。

 また、世銀が打ち出したCDF(包括的開発フレームワーク)、PRSP(貧困削減戦略ペーパー)は画期的な新機軸であり、パートナーシップを強調しているが、日本からすれば、世銀がやりたいようにやって日本は引っ張り回されるだけだという受けとめる向きもあり、関係強化の方向には必ずしも役立っていない。

 ローン(融資)からTA(技術協力)、グラント(無償資金協力)に世銀の重点が移ってくるとすれば、日本側の主なカウンターパートはJICAになる。しかし、JICAと世銀の関係は、まだまだこれから、との感がある。

 民間企業は、重電・重機から消費財に中心が移ってきているところ、何をできるか模索が必要だが、これまでつきあいがないので、放っておけば関係が薄くなってしまう。

 日本のNGOは、国際的に比較すればまだまだ発展途上にあり、世銀との関係の本格的強化のためには今後相当な展開が必要ではないかと思う。

 以上の通り、世銀と日本との関係が薄くなる要素はあっても強くなる要素は見いだしがたいという危機感を、私は少なくとも抱いている。

 
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(3)今後の方向

 このような現状を踏まえ、何に焦点を当ててどういう体制で臨むのかについて考える必要がある。

(イ)対アジア戦略

 日本でいろいろ話を聞いて感じたのが、アジアの重要性である。この勉強会でも、なぜアジアだけ考えるのか、アフリカや中南米も大事であるという指摘があり、それはその通りだと思うが、日本の関心は圧倒的にアジアにある。日本と世銀を重ね合わせるとやはりアジアになると、現実的には考えざるを得ない。ただでさえ薄くなる世銀と日本の関係をアジアで引き合わせないと、協力のとっかかりがなくなることを懸念する。

(a)中所得国

 アジアにどう取り組むかといえば、アジアの多くの国は中所得国であり、基本的考え方は民間セクターを中心に置いて開発を進めようということになる。その考え方について日本は異論ない。日本自身と同様、金融セクターの強化や企業のコーポレートガバナンス強化に民間主導で取り組み、透明性・公平性のある投資環境を作ることについては日本として異論はない。しかし、公的機関の役割という点で、世銀の民間セクター戦略のペーパーを斜め読みすると、JBIC等の日本側アプローチとかみ合わない気がする。この場で各論の詳細を議論するつもりはないが、問題の建て方が世銀と日本で全くかみ合っていない。経済学的な分析から話をすれば世銀の主張していることは当然かもしれないが、自分の役人の経験から考えれば全く認識が異なる。世銀の民間セクター戦略のアプローチは、日本では一部の人を除きアピールしないし、他のアジア諸国も相当食い違っている。世銀の考え方は、投資環境を整備すればマーケットメカニズムが働いて、どの産業が発展するかが決まるというものである。政府として介入したい時は、特定の産業を誘導するのでなく、出来上がったプロダクトが貧困層にも行き渡るように補助金を出すという内容である。日本の公的機関(JBICや政策投資銀行)は、そのような考えで枠をはめられるとすると、自らの役割の説明がつかない。日本側は、それなりに開発の戦略に従って融資をしてきたという考えで来たが、世銀のアプローチとは大きく食い違っている。

(b)最貧国

 第二に、アジアの貧困国にどのように取り組むかという課題がある。今の中所得国を念頭に置いてわかりやすく単純化して説明すれば、日本は東アジア諸国にインフラ中心の円借款を供与し、結果として輸出が伸び経済成長が加速された。タイであれインドネシアであれ、このように成長して経済が強くなり、最貧国の状態を脱して開発に成功した。これは日本の援助の貢献である。多くの日本側関係者は、今後、カンボジアやミャンマーなどアジアの最貧国に、同じ戦略(インフラ中心の融資を中心とした成長志向の戦略)を延長するのはどうしていけないかという気持ちを持っている。これに対し、世銀の貧困に対する考えは、サブサハラアフリカ中心に始まった。そこでPRSPプロセスを導入し広まってきたので、それをアジアにも持ってこようということで、PRSPをベトナム、カンボジア他で導入している。これまでの日本の東アジアでの開発戦略と最近の世銀のPRSP戦略が、どのように折り合いが付くかが見えてこない。最近のベトナムのケースでは、ベトナム政府の強い意向でPRSPに成長(growth)が付け加えられPRGSPとなったが、両者のぶつかりあいの中で議論が進むように思う。

(c)地域協力

 第三に、アジア地域ではASEANやASEAN+3といった協力体制が大事だと考える。貿易面、金融面、そして今では夢に過ぎないが、共通通貨についても欧州ができてアジアでしなくて良いのかという意識もある。世銀はこれまでこの問題に正面から取り組んでこなかったが、私にはそれでいいのかという気持ちがある。アジアの戦略を考える上で、日本と世銀が、衝突したり協力したりする可能性がある。

(ロ)日本国内の体制

 他方で、日本国内の体制も課題である。個人的な考えであるが、やはり要になるのは財務省である。自分が財務省出身ということは抜きにしても、政府部内で世銀拠出金の予算を要求する財務省が、「株主」として世銀を一番大事に考えていると感じている。しかし、これに伴う問題もある。

 第一に、その結果として、世銀の政策を追認しがちである。世銀がうまく回らないと困るので、現状追認になりがちである。

 第二に、財務省がきちんと監督しているという観点から、世銀内部の関係者が持っているイメージとして、財務省が目を光らせているので他の省庁・機関と直接付き合うと怒られるのではないか、と思われている。しかし、財務省は(ルールやプロセスなど最低限は必要だが)そのようには考えてはおらず、全くの誤解であるという点を強調したい。今回の作業で、このことを明確化する必要があると思った。

 外務省が最近開発問題に熱心に取り組んでいる姿勢を評価している。外務省が日本の国益をリードして考えるのは良いことである。しかし、いかんせん足腰が弱い。外務省のイメージは良く、世銀が飛びつきたくなるのはわかるが、現地出先まで熱心な取り組みが浸透しているかは疑問に思う。

 その他の省庁については、今回の訪日時にいろいろ訪問したが、従来からいろいろな協力関係はあるものの、接点を幅広く探せば未だ発展の余地がある。

 地方公共団体も、最近は一部で国際開発問題への関心を高めているので、連携を模索すべきである。

 JBICについては、今回多くの方々と議論して、大きな変わり目に来ていることは間違いないと感じた。先程申し上げたように、世銀について融資がすべてという体制でなくなってきたのと同様、JBICについても日本における役割をいろいろ考える必要があるのではないか。世銀との関係も転換点にあり、大きく一皮むけて新たな関係が出来ればよいと思う。

 JICAについては、先程来申し上げているように、世銀との関係を強化する段階になっているが、これからというところである。

 総じて、日本政府としての戦略がほしい。以上述べたことを並べて足し上げれば日本政府としての戦略が出てくるわけではない。日本として世銀との関係をどうするかを真剣に考えなければ本当の答えが出てこない。

(ハ)知的交流

 知的交流については、日本の考え方を理論武装するとの観点からも重要である。大学の研究者、民間も含め、アカデミックな世界の知的交流を活発化して、日本の戦略を包み込んで理論武装し発信するということが必要である。この部分については、努力は見られるが非常に弱い。大学の先生の能力の問題はさておいて、大学のアカデミズムの制度が国際的に見て融通の利かない旧態依然のように見える。この点をまず見直すべきである。

(ニ)世銀の体制、意識

 最後に、世銀はどうなっているのかを考えたい。日本の世銀に対する意識と同じかそれ以上に、世銀の日本に対する考え方は不十分である。マネージメントは欧米中心であり、日本がどこに意識されているかと思うこともある。世銀の中での意識を変えていってもらわなければ困る。しかし、環境からすれば非常に難しい局面にあり、日本に元気がなくお金もないときに、日本について前向きに考えろと世銀の中で主張するためには工夫が必要である。やはり、アジアに焦点を当てて、アジア全体の問題を考える中で日本を位置づけるというアプローチが良いだろう。他方、世銀もアジアのことをどの程度考えているか心配になる。アジアの発展のためには、まだまだやるべき事があるし、日本が貢献する余地も大きい。
 
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【コメント・意見】   
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2.出席者より席上及び直後に電子メールにて出された意見

(1)日本の外交戦略・開発戦略と対世銀戦略の関係について

● 世銀と日本の関係について議論を聞いていて感じたのは、世銀側が何をしたいかはある程度明確なのに対して、日本側は何をしたいかが定かでないので、どうも議論が実のあるものにならないのではないかということである。つまり「今やっていること(東南アジア中心?、インフラ中心?)を継続してやりたい」という以外の政策軸が見えてこない。やはり、日本は援助を通じて何を達成したいのか、そのために何をしなければならないのかという基本を固めるのが先決ではないだろうか。(これまでの継続でいいということであれば、この先は無意味な議論である。)

● これまでもODA大綱が作成されたり、一部の国については援助計画が立てられているが、いずれも非常に抽象的かつ総花的で、一般の人にとっては何がいいたいのか良く分からないのが実態だと思う。外務省の人は、よく「ODAは外交政策の重要なツールだ」とか、「援助と外交は不可分だ」と言う。私も全くそのとおりだと思うが、日本の援助戦略がぼやけてみえる最大の原因は、それと密接不可分であるべき日本の外交戦略がぼやけている(少なくとも一般人からはそう見える)からだと思う。日本の国益を明確に定義して、それに基づく外交戦略を打ち立て、それに沿った援助戦略を考えるということでないと、いつまで経っても焦点の定まらない議論が続くことになると思う。

● 国民に広く日本の援助や世銀について関心を持ってもらう必要があるとの議論があったが、これまでのような抽象的かつ総花的な議論をしていては、関心を持てといっても無理な話だろう。安全保障、資源、貿易、投資、通貨・金融等の様々な角度から検討して、我が国として何をしなければならないのかを(少なくとも)政府内で意思統一する必要があると思うが、どうも現状ではその根っこのところが欠けているような気がする。それが官邸(総理)の役割なのか、外務省の役割なのか、内閣府の役割なのか、はたまた与党の役割なのかは私には分からないが、誰かが中心となって軸となる政策を打ち出す必要があるのではないだろうか。それを霞ヶ関の住人でなくても理解できるような分かりやすい言葉・コンセプトで発信してはじめて外交や援助についての国民的関心が高まり、実のある活発な議論がなされると思う。

● 援助政策の意思決定をどうやって一元化するかという議論も出ていたが、その背景となるべき日本としての外交戦略が描けていないと、援助政策を一元的に議論する器を作っても小手先の議論だけで本当に意味のあるアウトプットは出てこないのではないかと思う。

● この基本的な部分を避けて通ろうとすると、結局、現状追認型の援助政策に流れてしまい、「世銀が方針転換をする中でいかにこれまで通りのことを邪魔されずにやっていくか」とか、「援助予算が削られる中でどうやって立ち回るか」という類の夢のない話になってしまい、「日本としてはこういうことを達成したいので、そのために世銀をこうやって活用しよう」というような前向きの話にはつながらないのではないだろうか。また、省庁の枠を越えて共通の認識を持っていないと、結局は、それぞれの縦割りの組織の中で自己完結的な発想で物事を考えるようになってしまい、個別問題の議論をしても非生産的なものになってしまいがちである。

● あまり大上段に振りかざしたようなことばかり書いても仕方がないのだろうが、外交政策について政府から強烈な発信が相次ぐ(その内容の当否はともかく)米国にいると、どうしても上記のような点が歯がゆく感ぜられてしまう次第である。

● 日本の予算が減少しているこの時期は世銀と日本との関係を見直す良い機会である。何が本当に必要なものかを議論できるのは実際はお金がなくなってきた時である。

● 戦略については、個々の組織の中で考える部署を作らないとダメである。1つのポストにつく人が2年で次々と変わっていくと、状況が変化する中で新しいことをやろうとしても、組織として記憶が蓄積されていない。今の時代に合うような組織に変わっていかないと、戦略が出てこない。戦略が何かを議論する時には、数年先にはその戦略を議論できるような体制をまず構築すべきである。

● 現在のODAを取り巻く体制は古すぎる。人事体制も古い。時代にあったフレームや人事体制へ変えていく議論(ストリームライン化)は決してタブーではない。これをやるだけで今まで我々が頭を悩ましていたことの大部分が解決されるのではないか。いっそのことマネジメント・コンサルタントなどに日本のODA体制、戦略案でも作ってもらってそれを叩き台にして変革の議論をはじめても良いのではないか。重要なのは行動である。

● 日本と世銀の方向を考える中で、顧客である途上国の視点も重要である。自分は都市開発担当で、インドネシアの諸都市を1か月間回った。顧客は市民であり、オープンに意見をいってもらった。その中で、世銀や日本はインドネシアにお金を貸さないでくれという声がでてきた。日本や世銀として、どのようにこの発言を受け止めるべきか考えている。

● 世銀との協力は日本のODA改革にも資すると思う。日本のODAが直面する主要課題として、(1)開発研究の強化に支えられた援助戦略の構築と発信、(2)国別・分野別の経済協力体制・ネットワークの強化の2点が考えられるが、いずれも世銀との対話や協力を通じて、日本のODAのどこに強みと弱みがあり、世銀の情報や知見をも活用しつつどう改善できるかが明らかになってくると思う。大口拠出国として世銀をどう使うかという観点のみならず、日本のODAの透明性を高め、日本の経協政策を再考する触媒としての世銀の役割にも留意していきたい。
 

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(2)世銀に対するオールジャパンの意思決定システムについて


● 日本全体としての戦略の核になるものを考える必要がある。ODAに限らず、日本は国家戦略の構想力において著しく劣る国との印象が強い。突如マスコミを通じて良いアイディアが出てきて日本全体がこれを支持するといったことは起こり得ない。戦略を考えるためには、まず制度的な意思決定システムをきちんと構築する必要がある。外務省と財務省の双方を包み込むような制度が出来ていないから、双方を包み込んだ戦略もできない。各機関を統合して開発戦略を統一的に議論する組織をつくる、ないし横断的なネットワークをつくるといった形で仕組みを変えないと、それなりの意思決定はできない。

● 日本の援助関係者の世銀へのアプローチを見ていると、日本が必ずしも一枚岩ではないと感じることが多い。外務省は「我が国」と言いつつも、実はオールジャパンを担っているわけではないと感じることがある。また、NGO、コンサル業界、民間企業等が対世銀の関係強化を模索するに当たって外務省の存在を活用しているとは思えない。

欧州諸国と世銀の定期協議は年1回、しかも同国の外務省(国によっては財務省)が全ての窓口となっている。欧州諸国の協議事項に「官民パートナーシップ」や「民間セクター育成」が含まれているのは、当該国内での民間セクターとの意見交換が十分なされているからだと思う。これらの国の多くが世銀との協調枠組合意文書の中で、窓口の一本化を規定している。英国の場合はDFIDで、カナダの場合はCIDA、ドイツはKfWになっている。翻って日本の場合、定期協議と呼ばれるものが、各アクター毎に存在するのは異様な気がする。外務省、JBIC、JICA、ECFA(コンサル業界団体)、経団連等等。NGOグループもこれらとは別にアプローチしてくる。

● こうした統一性のなさの弊害を如実に示す例は日本人コンサルタントの受注問題である。日本のコンサルが国際競争力に乏しく、世銀の調達ルールに従うとなかなか日本のコンサルタントが受注できないことは、業界も財務省も世銀も問題点として認識している。海外コンサルティング企業協会(ECFA)は、日本の持つノウハウ、比較優位を持つ分野の売り込みのため、毎年世銀にミッションを送ってくる。だが、日本のコンサルタントに国際競争力がない大きな原因は、日本国内の保護されたマーケットで十分食って行けるからであり、外務省やJICA、JBICの単価、業務指示と作業監理の質の問題とも絡んでおり、単に業界と世銀との間で解決策が見出せる問題ではない。外務省やその他援助機関と世銀との協議では、日本側はこの問題を挙げてくることは殆どないので、この問題が日本国内でシェアされているのかすらわからない。

● 世銀の最大出資国であるアメリカの場合、1980年代前半アドボカシーを行うNGOが、米国連邦議会を納税者である国民の声を最も反映できる場と考え、連邦議会の公聴会で世銀の援助受入国で起こっている重大な環境・社会経済的な問題に対する証言を行った。それを契機に連邦議会で国際開発金融機関の資金拠出の妥当性が真剣に議論されるようになり、公聴会を通じて一般市民が政策決定へ参加出来るようになったと言う背景がある。つまり、省庁間協議の他に、NGOー>議員ー>連邦議会ー>法的責任を持つ財務省ー>米国理事室ー>世銀へ、という意思決定システムが出来上がり、世銀におけるアメリカの声をより大きなものにしている。一方、第二の出資国日本が世銀の政策に影響を与えられないのは、意思決定システムが弱いからではないだろうか。すばやい情報開示を行い、多くの人材・組織の意見を取り込むシステムを構築することで、より戦略的で専門的な政策を世銀に提案できると思う。
 

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(3)世銀の重点の変化と日本の対応について


● 世銀には、市場で資金を調達して貸し出すという基本的な性格がある。しかし、貧困削減をメインの目標とするようになって、アフリカ支援やエイズ対応などリターンが期待できない分野に踏み込まざるを得なくなってきて、世銀として本質的な矛盾を抱え込んでしまっている。これもディスカッションの問題意識に加えていただきたい。

● また、これに伴い、日本側の対応も従来の銀行の株主の代表としての財務省中心の発想から、具体的なオペレーションを通じて貧困削減についてどう取り組むかという発想が必要になり、在外公館・事務所を持つ外務省・JICA・JBICと世銀とのパートナーシップが重要になってきている。

● 自分は世銀の財務を担当しているが、今世銀で問題になっているのは、中長期のファイナンシャル・キャパシティである。従来世銀の財務はローン・インカムを中心としてリターンを得て成り立っていた。IDA(世銀の譲許的融資)には世銀のネット・インカムの一部をIDAに移転することによってIDA財政を補填してきている。焦点が貧困に向かう中で貧困対策は銀行にとってはコストが高い。財務的に厳しくなってきているおり、(財務の健全性とIDAの)両方を成り立たせるためにどうするかという点である。これは世銀理事会でも議論が出てきている。数年前、世銀は中所得国向け融資の金利をアップすることにより、財務の健全性を取り戻す方向に向けた。それにも限界がある。IDAに対するドナーからの直接拠出金を大きくするのか、中所得国向け融資の金利を更に高くして最貧国に向けるのか、日本は第二位の株主としてどちらの方向性を示すのか、今考える必要がある。

● アジ銀(ADB)に出向していた経験から言えば、株主である出資国側が、オペレーションについてマイクロマネージメントをすべきではない。他方、全体の資金配分がどのようになるかというようなオペレーション全体像について考えるべきである。IDAの譲許的融資の50%をアフリカに振り向けて本当に良いのか。日本として、アジアにも向けるべきだという立場がある。ネガティブ・チェックということかもしれないが、日本さらにはアジアとして損しているところはないのか、というような主張は株主として当然のことと考える。しかしながら、それ以上に今述べたようにオペレーションのパートナーとしてプロアクティブな関与をするのであれば、財務省だけということではなく、国内のステークホールダーの意見を集約するような何らかのメカニズムが必要である。他方、それをまとめるにあたって、日本の対外援助政策の骨太の議論が必要であるが、その中心哲学がないのではないかという気がする。

● アジアの中所得国は、中国も含め、世銀の融資先としてはそれなりに優良である。それらについて、民間でやれるのだから世銀は手を引いて最貧国に集中した方が良いという議論を受け入れると、世銀はローンでやりくりしていくという戦略から手を引いて、グラント中心になり、融資機関としての世銀の性格が相当に変わる。それで良いのかという点が問題である。自分の考えでは、世銀はもう少しアジアの中所得国に力を入れて良い。そうすると、今の世銀のアプローチでは十分ではない。この点はもう少し議論すべきだが、新興市場国に融資することに公的な意味があり、民間のみに任せて良いということでないという根拠を十分に考えないと、融資機関としての世銀の地位が危うくなる。

● 世銀のローンは出世払いモデルであり、返済まで3−40年待とうという考えに基づくものである。これは、欧州でもアジアでも役に立った。それでも返せない国は返せない。恥の文化があり借りた金を返そうという国が発展する。その意味で、世銀モデルはアジアに当てはまりやすく、世銀がもしコアオペレーションを続けようとすれば対象はアジアが中心となる。その際ADBとの棲み分けを考える必要があるが、それが生き残る道である。確かに、リターンがあった分を、どのみち返せないところに限定的に出すということはあり得るかもしれないが、世銀は慈善組織でないという点を明確にすべきである。

● 世銀がローンから知的貢献にシフトということであれば、日本にとってチャンスである。世銀のミッションに随行して日本からもどんどん人を出させてもらえばよい。世銀が現場でどのような仕事しているか、現場で勉強する。現場を通じての理解を深めれば、その中で反発や友情も生まれるであろうが、お互いの顔が見えるような信頼を作ることができる。そのような具体的な基礎なしに、大きな戦略を作ることは難しい。

● 中所得国への融資について、世銀で大きなイニシアティブがあったが、半分立ち消えのようになっている。実際に研究も行われたが、大きなマクロの研究だけあって、それぞれの中所得国に対してどこに世銀が入る余地があるか、どのセクターには民間が入りどのセクターには世銀が入れるのかといった議論はしていない。この点について、日本はアジアの中所得国への援助から学んだ内容(例えば、特定のセクターを援助し投資していくことが効率性を生むということ)を世銀に対して堂々と提言していける。また、第二位の出資国として、世銀の経営、援助の効率性、援助システムに対しても言うべきことがある。世銀のPrimary Objectiveは一部の政治的圧力に左右されがちな側面も否めない中、日本は二国間融資と整合的な独自の政策を持って、協調融資に望む方がよい。

● 「世銀グループは、ローンで利益を出す機能とグラントを供与する機能を併せ持っている」との論点の紹介があったが、「グラントとローンとの連携の在り方の明確化」(「ローンにつながるグラント」、「低利融資」、「純粋なグラント」の使い分け(分野等))について、日本としての意見を強く出せば良いと思う。この部分は外部の人に解り難い面があり、透明性を高める必要がある。また、誘導型の資金供与については、日本の国内政策等での事例を含め、知見が充実していると考えられる。

● 一般国民がお金の使途につき説明を受ける際、人の命が助かるというと分かりやすい。他方で、インフラ整備については、特に日本では大規模公共事業のイメージは良くない。田舎は公共事業重視といわれるが、一般県民レベルでは圧倒的に福祉教育重視である。今までのやり方を正しいと説得するのは用意でない。世銀について、「本来融資機関である」と言っても仕方がない。そもそも、今どのような機関が必要なのか、何にどうお金をだすのか、貧困削減などに対抗できる理論武装ができるのか、という所から説得出来るかが重要である。日本として、根本に立ち返って、日本型モデルを踏まえて、本当にどういうことを真面目に主張していけるのかをきちんと整理しなければいけない。そのように国の戦略を考える際には智恵を募るべきである。

● 世銀の政策が右や左に振れているのは、単なるトレンドではなく、米欧の市民社会の圧力が米欧政府の理事室を通じて世銀に伝わり、対応しないと存続できないので真剣に動いているという面がある。日本が予算が減っている時がチャンスというが、正に量が減ったときに質を見直す荒療治が必要である。

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(4)国連とブレトン・ウッズ機関の関係について


● 世銀は融資機関であるにも関わらず、貧困撲滅を実現したいということで、国連が90年代に打ち出したようなアドボカシー・理念的な要素を、リターンを考えずに引っ張ってきてしまった。ウォルフェンソン総裁は少し急ぎすぎたように思う。日本としては、国連とブレトン・ウッズ機関(世銀・IMF等)の役割の違いを、財務省・外務省で整理して、日本政府内部で共通の戦略・共通のアプローチを作るべきである。貧困撲滅活動を引っ張っている世銀に協力するのか、貧困撲滅は国連中心の協力にして世銀は融資機関の役割を再認識させるのかを考える必要がある。あるいは、国連とその国連システムの専門機関としての資格をもつ世銀グループをより一体化させて考え、国連から出された理念的要素を資金力・組織力で実践に移す世銀グループの役割をより強く認識することにより、日本としても国際社会における世銀の位置づけの変化を受け入れ、世銀が開発金融機関としての性格を曲げずに貧困撲滅への取り組みができるよう支援することも考えられる。

● 国連とブレトン・ウッズ機関の関係のあり方をどう考えるのか、という点については、これまでは役所が分かれている関係もあり棲み分けをして対応してきたが、ここで大きく取り上げなければならない日本の課題になってきた。冷戦構造が終わり、国際環境の変わる中で、議論しなければいけないところに来ている。

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(5)世銀に対する国民の理解について


● 世銀がどういうものなのか、一般の日本人には関心もなく、全く見えてこない。小学校の時に、IMFや世銀が教科書に出てきて、世銀のおかげで東名高速が出来たと習ったのが最初のとっかかりである。教科書も簡単になっており、今の子供が世銀について学ぶのはNGOとの関係であろうか。世銀はコマーシャルも出していない。まずは小学校の教科書にいれてもらうところから始めないと理解が深まらない。

● 日本の感覚からすると、なぜ世銀はリストラしないのかと思う。IMFや世銀があり、それとは別にアジ銀があり、日本はいずれも第二位の株主であるので、リストラは可能ではないか。アジアとアフリカは区別する必要はないのではないか(アジ銀はマニラに本部があるが、日本に本部がないと理解されない)。世銀が現地化を進めると、地域開銀と重複してリストラが必要になる。

● 日本が世銀の大株主という点についても理解されていない。財務省は株主といっても、その改善についてどの程度インセンティブがあるのか。世銀はブラックボックスであり、政治家にとっても利権にならないので縁遠い。国会でも全く議論にとりあげられない。そもそもベーシックな内容から情報発信をする必要がある。

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(6)その他

● 対アジア戦略について、日本の製造業の対外直接投資の90%以上が中国を想定しており、またアジ研の講演の95%は中国関係である等、中国をどう考えるかが対アジア戦略の中で重要である。特に、沿海部には先進国が次々に進出しているが、そこをどう考えるかがまずは重要である。その関連で、日本の戦略に一番欠けているのは、将来の日本の産業構造をどう考えるかという議論である。そこを詰めて考えないと、ODA戦略も固められない。日本の産業戦略は日本のODA戦略と不可分になってきている。

● 日本国内体制の問題だが、日本の少子高齢化が進むと、モジリアニのライフサイクル論ではないが、高度成長はもう起こり得ない。日本が今後生き延びるためには、やはりアジアが重要である。産業セクターを支えるインフラ支援を含め、どのようにアジアを支援するか再考すべきである。

● 日本が本当に誇れるのは、高齢化を成し遂げたことである。貧しく食べるもののない状況の中で、子供を育て、長生きの国を実現した。特に、女性の人生を長くしたのはすごいことである。これは経済発展だけでない。これこそアジアを含め世界に伝える問題ではないか。自分はアジア諸国を回り、女性の問題にも取り組んでいる。日本政府にやってほしいことは、日本の女性が、途上国の女性や子供の生命を助けることに協力することである。母子手帳など、ソフト・ハードのインフラを含め助けれるなど、具体的な支援を行う中で、自ずと日本としての戦略ができるのではないか。アフガニスタンについても、インフラは大事だが、女性、差別された人、子供のためのシステムを作ってほしい。(注:母子手帳についてはインドネシア等でJICAが技術協力を行っている。)

● 教育について、日本にいれば経済問題はあるにせよ豊かな暮らしをしているが、世界には貧しい人がいるということを教育でとりあげるべきである。これは教育を超えた問題かもしれないが、貧しい人と支え合い、つきあっていく必要がある。慈善精神、人類愛などの土台がないとダメである。

● 母子手帳や保健所など、日本は優れた制度を明治から戦後の過程で創意工夫で作り上げてきた。これは途上国でも活用できる。これは前から言われていることだが、世銀ではそういう細かいところを取り上げる余裕はない。しかし、日本は細かいところに拘ることによりうまくいくのではないか。そして、このような観点から、日本として世界としてどうしたらいいか考えるべきである。

● 「公的機関の積極的な役割(投資の誘導、インフラの直接整備等)」について、世銀と日本に考え方の隔たりがあるとの指摘があったが、 日本の考え方を裏付けるための理論・実証研究等を日本資金(日本基金、日本の開発援助予算等)により強化すれば良いのではないかと思う。これは、日本の開発戦略の理論武装と、世銀プロジェクトの評価の充実のために有用である。例えば、電気通信やIT分野は、「民主体」が当然となり、開発金融機関の役割も大きく変化しているが、「村落地域の電気通信開発については、公的機関による直接的な支援もある程度必要である」との考え方もあり、それを裏付ける具体的データや新しい理論が求められているようにも思える。「競争市場の中での特定企業(事業体)への支援」には問題があるのは事実であるが、「その弊害を少なくするための条件等の付け方(資金供与において)」等を含めた理論等が必要であると思う。

                                                 (以上)

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【資料・リンク】

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