ワシントンDC・ODA改革ランチ

「技術協力の課題と今後の方向性」

 2001年9月28日、米国ワシントンDCにて、官・学・民・国際機関の経済協力実務家を中心とした有志約20名が、個人の資格でODA改革(技術協力分野)について昼食を交え意見交換を行ったところ、主要点は次の通りです。

【ポイント】

 

  • 国際場裏で技術協力の見直しをする機運があり、ドナー間・対受入国調整効率性アンタイド化途上国の経常経費における扱いなどが論点。守勢に立たされる恐れがあり適切な対応が急務。
  • 大所高所からの議論とは別に実務家間で解決すべき問題は多く、例えば政策助言型専門家の強化(適任者の選定・委託事項の明確化)、専門家の質の確保(開発支援の最低限の知識共有)、研修ビジネスの可能性(IT化に伴うソフト開発)などについての取り組みは重要。
  • 専門家に関しては、少数精鋭化や派遣手続き簡略化に加え、専門家枠を現地事務所のコンサルタントとして活用できれば効果的。また、帰国研修員のネットワークを育成してCDF・PRSPプロセス等に利用することも一案。また、各省庁・実施機関等に分散した情報を共有できる人的ネットワークを構築することが、相手国の開発ニーズを把握してODAを活かすために必要。
  • 「顔が見える援助」を実現するためには、日本の開発援助に関する政策を十分に議論し、公に主張していくことが必要。その際、ODAの相手国、日本国内で認知に加え、他のドナーとの関係も重要視されるべき。他方、安全保障、資源の安定供給、海外市場の確保など、現実的な利害の問題として開発援助政策を議論することも重要。
  • 日本の経験が途上国すべてに適用できるとは限らない。戦後の日本には組織と技術があり、資金だけが欠けていた。途上国と日本の開発の違いを念頭において技術協力を考えることが重要。

 

【本文】

  1. 話題提供:技術協力の問題点と今後の改革の方向性

(世界銀行東アジア大洋州局東チモール調整官・窪田博之氏)

  1. はじめに

 私が開発に関わり始めたのは、青年海外協力隊(JOCV)の隊員としてタンザニアに行った時からである。以前より農業開発に関心を持ち、専攻した土壌学で低生産性土壌を扱っていたが、タンザニアは土壌に関心のある者にとっては宝の山で、本業の合間にスコップを担いで各地の土を掘って回った。一方、当時からタンザニアは援助の展示場のようなところだったので、それは同時に、各ドナーの援助事業の実態を見る良い機会になった。JICAのインドネシアにおけるプロジェクトに短期間参加する機会を得た後、外務省技術協力課に勤務した。3年前より世界銀行の農業関係の部局に出向し、昨年からは東チモールの仕事も担当している。

 日本が経済協力を長年やっている中で、いろいろな問題が出てくるのは当然のことである。40年経てば諸々のスキームは制度疲労を起こして摩耗してくる。このような現状や成果物を見ているのは経済協力の実務家であり、そのような人々の間で議論され、彼らにより改善出来る機会があれば良いと思う。第2次ODA改革懇談会では、高名な先生方が大所高所から議論しており、それはそれで大事だが、大所高所の議論のみで止めてしまっては、実効性は期待できない。これと並行して、「理念」とか「戦略」とか語る以前の問題として、まず、実務家が、目の前の経済協力の実態を時代にあったものに気軽に改善する作業を可能にすることがより重要であると確信している。

(2)技術協力の見直しの機運

 技術協力の見直しについて、開発コミュニティーの中で、今後一層盛り上がりながら続いていくと思われる。昔は技術協力は議論の対象にならなかったが、この2−3年の経験ではそれが正に問題となって顕在化してきている

 例えば、紛争直後(ポスト・コンフリクト)の国に自力で開発を進める能力がない場合には、世界中から研修の枠が提供されるが、例えば特定分野で5人を6か月研修させる枠を提供されても、国内に誰も仕事をやる人がいなくなってしまう。また、技術協力は、資金協力と違ってお互いを制約するルールがない。そのため参入しやすく、途上国は技術協力分野から援助を開始する傾向があり、ブラジル、中国、マレイシアなども技術協力に力を入れている。例えば、東チモールではポルトガル語が使われている関係から、ブラジルから多数の研修員受け入れがオファーされた。しかし、このような場合に研修員をそのまま派遣すると行政がとまってしまう

 そこで、技術協力に関する調整が必要となる。特定のドナーが調整の役割を担うのは当然適当ではなく、本当は当該国の人、東チモールの場合は東チモール人がやれば良いが、必ずしもそのための十分な人材がいない。

 また、技術協力の改善を求める途上国自身の声も強まりつつある。例えば、研修を受けても学位を出してくれなければ戻ってから自国で認められないので、教育制度の中で認められるディプロマをせめて出してほしいという要望が強い。また先進国に行って研修するのは有り難いが、研修の内容によっては、現地でのOn-the-job Trainingの機会のように、帰ってからも継続的にスキルを維持するような仕組みをを考えほしいといった要望も出ている。

 それでは技術協力を見直そうということで、「援助議論屋」が取り上げる。「援助議論屋」はOECD・DACのアンタイド問題が決着して次の議論(メシ)のネタを探しているところなので、技術協力は格好の対象となる。

 このような動きを別としても、例えばUNDPと世銀の開発研究所(WDI)は共同で、これからの技術協力のあり方がどうあるべきかについて電子会議を始めており、技術協力の問題は遅かれ早かれ国際場裏で提起されるであろう。アンタイド問題のように日本が一方的に守勢に立たされるという展開にはならないと思うが、守勢になるのは避けられないと思う。日本の技術協力には、途上国の要望に応えて次々と間口を広げていったので陣容が充実しているという「売り」があるが、その「売り」だけでは対応できない様々な議論が出てくる。

 想定される論点は、ドナー間及び受入国との調整、技術協力の効率性、技術協力のアンタイド化(この点は現在下火になっているが5年もすれば蒸し返される)、また、技術協力の途上国の経常経費(リカレントバジェット)における扱い等が考えられる。最後の論点は、議論の有無に関わらず途上国が実際に直面する問題である。日本の技術協力の陣容が途上国の要望に誠実に応えて充実してきたという点と違う次元の議論がすぐそこに来ている

(3) 日本の経験の汎用性

 現在日本で行われている議論とずれているかもしれないが、日本が復興した経験の途上国への汎用性について問題提起したい。昔から綿々と使われる表現は、「日本の戦後復興の経験は途上国のためになる」というものである。途上国への応援歌、日本の経済協力に対する応援歌としては良いと思うし、ある種日本人の心を打つし、使うべき議論と思う。しかし、本当に日本の経験は途上国の役に立つのか、役に立つとすればそれは何か、そのための前提条件は何か、かつての日本と、今の途上国が、どういう同じ前提をもつのか、もたないのか、実際に個別の事例について理解した上での応援歌でなければ、実務の上で問題が生じるおそれすらある。

 かつての日本の状況を示す事例を一つ申し上げたい。戦後世銀から融資を受けて主要なインフラの復興と開発を果たしたことが今の日本の経済基盤を作った。1950−60年代、30数件に約9億ドル(現在の価値では大変な額になる)の集中的融資を受けた。ほとんどは道路、鉄道、製鉄、発電等の経済インフラ関連の大型事業だったが、例外が2件あった。愛知用水の建設と農業機械化支援プロジェクトである。後者は日本の下北半島(青森県)と北海道の根釧原野、そして道央篠津泥炭地を農地として開発するための機械化を支援するものであり、主として農業機械の輸入代金に充てられた。

 1950年代前半に派遣された世銀ミッションの、日本側カウンターパートであった技術者から聞いたところでは、世銀ミッションが想定した篠津泥炭地の開拓の目的は畜産と小麦であった。これは、道央の気候や土地の条件だけから考えれば当然である。これに対し、日本側は米作りへの応援を世銀の融資に求めた。当時の国内の食糧需給は、1920年代から農地が減少する長期的傾向があったところへ、戦中・戦後の生産力の低下と600万人位の外地からの引き揚げ者の帰還が重なり、危機的状況となっていた。その背景から緊急に農地開拓が必要となり、この世銀融資事業につながった。しかし、入植するほとんどの農民には米作りの経験しかなく、また国民一般も米が食べたいという一念だった。技術者も層が厚いのは米作りの分野であった。世銀と日本の技術者の間で何を開拓地のターゲットとするかで意見の相違が続き、最後に世銀ミッションの中のアジア人が、ここまで日本人が言うならやらせてみようということで水田開発が可能になった経緯がある、という。

 当時の日本の状況は、現在の途上国には必ずしも当てはまらない。当時の日本に欠けていたのは、ある意味で「資金だけ」である。「やる気」も「技術」もあった。ドナーが乗り込んで来たときに、具体的にこれならできる、これはできない、ここを助けてほしい等と言える人達の層が、この農業分野に限らず存在した。この事例をどこまで普遍化できるかはわからない。しかし、日本の経験はアジアに役立つ、アジアの経験はアフリカに役立つというスローガンは使うべきであるにせよ、実際に事業を行う実務家は、何が同じで何が違うか十分に考えて関係者間で共有しなければならない。情緒的な部分を離れて、やっておかなければならない作業がある。(世界銀行東京事務所ニュースレター2001年11月号で本件を概説。)

(4)顔が見える?技術協力

技術協力に限らないが、「顔が見える援助」を目指せ、と、最近国内では広く主張されている。日本での議論を十分に承知していないのでポイントがずれているかもしれず申し訳ないが、自分の考えを述べてみたい。

 日本で議論されている「顔が見える援助」にはいくつかの段階があると思われる。第一に、ある事業が日本の援助で行われていることが、相手国に認知されること。第二に、事業が実際に効果を与え、その効果が日本の援助による事業のおかげだと相手国に認知されること。第三に、そのように相手国に認知されているという効果が日本国内に認知されること。以上全てが整って、「顔が見える援助」が達成されることになる。しかしながら、この中で、日本人が頑張っていることについて相手国、更には日本国内に認知されるという内向きの配慮と並んで、地道に援助事業の有効性を確保することこそが不可欠の要素であるという点を強調したい

 また、以上の議論とは別に、「顔が見える援助」を実現するためには、日本としてどのような援助・開発が望ましいかについて声を出していくことが極めて重要だと考える。その意味では、日本の援助は「要請主義」のもとで、むしろ「顔が見えない」ようにやってきた側面がある。日本としてどのような援助をやりたいか、どのセクターが重視されるべきと考えているか等について公の場では議論せず、日本のこれなら支援しても良いと思っている関心や、持っているスキームに合う形で先方政府ハイレベルから要請が出るように、バイの対話を先方政府と行う中で日本側の考えを伝達してきた。このようなやり方は、先方政府の主導性・自主性を尊重しつつ日本の考えを反映させる上で効率的であったといえるかもしれない。世銀の国別援助戦略(CAS)から始まって個々のプロジェクトアプレイザル、インプリメンテーション等各種の分厚い文書を量産し、そのための対話のプロセスに時間をかけたうえで実施するのと、結果的にどちらが効率的であったかというと、日本のやり方の方がよかった場合もあったであろう。

 しかし、日本として「顔が見える援助」を気にするのであれば、上述のような「腹話術」のような方法では「顔を見せないように」努力してきたようなもの、という現状をこそ認識し、改める必要があるのではないか。要請主義も、ある程度の「腹話術」も、どのドナーもやっているが、日本のように念のいったやり方をしたドナーはいないのではないかと思う。

 途上国の現場で日本の援助が認知されるためには、ステッカーを張るとか、もっと多くの日本人、日本企業の参加、といった外見上の配慮のみならず、公の場で、日本の援助の関心分野や重点事項について、皆に聞こえるように強く主張することが必要である。ドナーや途上国が幅広く参加する援助協調の場はその一つの機会である。先方政府とのバイのやりとりで終わらない分だけ作業は大変になると思うが、日本の存在感をしめすためにも、開発援助の効果のためにも、今となっては避けられない道であり、対応を変えてゆかざるを得ないであろう。

 更に考慮すべき変化として、最近の民主化の進展、市民社会の声が大きくなってきたことがある。途上国の大臣の肝いり案件も住民の反対運動でひっくり返される時代になった。日本が事業を成功裏に進めるためには、先方政府ハイレベルの要所を押さえれば話が済むのではなく、市民社会の意見にも耳を傾け、相手国政府当局と話をする必要がある。そのような積み重ねにより、「顔の見える援助」も推進されるのではないか。

 ある意味で、これらのプロセスに関わる部分は全部技術協力と言えるかもしれない。日本人がものをいっていると受け止められるようにする、そういう意味での技術協力こそ大賛成である。ただし、事業の効果は更に別の話だと思う。「顔が見える援助」というロジックで説明するとしても、以上述べたように実体面では様々な工夫が必要である。

(5)日本の技術協力を省みると…

 日本の技術協力は、拡大・充実の一途をたどってきたが、今般のODA改革論議を機に、更なる改善を図るべき時に来ていると考える。分野別の縦割りの弊害など困難な問題があるのであれば、正に第2次ODA改革懇談会の高名な先生方に検討いただくのが効果的なのであろう。他方、そもそも、実務者の間で片がつく、片をつけるべき作業もたくさんあるはずである。

    英国の国際開発庁(DFID)の改革も同じような問題を現場では抱えていると聞いている。クレア・ショート開発大臣の出現により政治主導で大胆な改革が進められているが、DFIDの人の話を聞くと、英国がこれまで重点的にみている個々の国のプログラムでは日本が抱えると同様に、長年の旧弊が澱(おり)のようにたまってもいて、その改善には何年もかかる由である。同大臣が続投することで、そのような現場での改革が続けられるので喜ばしい、ということだった。このように、おそらく、どのドナーも同様の問題を抱えている。

   ただ日本では、海外、特に途上国における仕事を特別扱いせざるを得なかったという独特の要因があった。例えば、技術協力を開始した当時、途上国に専門家として行ってくれる人が少なく、三顧の礼で送り出していた時代があった。しかし、当時作られた枠組みの多くが今日まで継続しながら、一方で技術協力専門家を目指す人材の間に競争が起こらないまま事業が拡大し、しかも人材のプールが物理的に、また人為的に限定されてきた結果、時に現地のニーズとのマッチングや腕の良し悪しの判断以前に、送り出す側の都合で左右される固定ポスト(既得権)化するような事例も生まれている。歴史的には一定の合理性を持っていた仕組みであっても、品質管理のためにも見直しを加速する必要に迫られている典型的な事例といえよう。

 この関連で、いくつかの事例について個別の問題提起をしたい。

政策助言型専門家」−政策助言型専門家の強化が最近重視されているが、適任者を選ぶとともに、委託事項(タームズ・オヴ・レファレンス)をはっきりさせることが極めて重要である。コートジボワールの農業省に派遣されていた我が国の政策助言型専門家と会ったことがあるが、幅広い知識をお持ちでたいへん勉強させていただいたし、他のドナーとの関係についても現地の状況を踏まえたご意見をお持ちだった。他方で、そのような意欲や能力に欠ける場合には、政策助言型専門家の派遣の効果は減殺されるどころか、マイナスにすら働くと思う。

   一方で、特に注意しなければならないのは、現場での役割の明確化であると思う。政策助言型専門家は、あくまで先方政府の立場に立って働くべき人材であり、その活動と、大使館経済協力班や実施機関事務所が主体となる、援助に関する政策対話とを混同しないことである。日本の声を公の場で発信する仕事の成否は、あくまで大使館、実施機関の努力にかかっていると考える。

 「専門家の質の確保」専門家の公募が始まったのは画期的なことである。従来の日本の援助では、各分野の専門家が各分野の省庁に存在していたし、それらの省庁が人材源になるのが当然であった。しかし、日本において特定分野の専門家であることは、途上国の開発支援の観点から当該分野の専門家として役に立つことを保証しない。従って、各分野の省庁の専門性を活用するにせよ、他の人材のプールを開拓するにせよ、開発支援のためには最低限の知識を共有してもらう必要がある。今後は、専門家の公募でフィルターにかける際に開発支援のための知識を基準に加えるべきであろう。公募制度によって、JICAは専門家を自ら選定し評価するメカニズムをつくる責任を負うことになるが、これはJICAとしても取り組む価値のある仕事であると考える。

研修ビジネスの可能性」−自分が担当する東チモールでは世銀現地事務所にビデオ会議の設備を設けたが、現在それを研修目的、遠隔教育のためにも使う議論がある。3年間でメンテ技術を現地に移転して、ハードを寄贈し、後の運営は東チモール側に任せ、行政活動だけではなく、キャパシティビルディングにも活用してもらおうという構想である。ここで維持経費の問題を除けば、最大の問題は、研修ソフトの開発である。世銀は自分達だけでソフトウェア(例えば上下水道のメインテナンスの教育パッケージ)を作る考えはなく、その地域や分野を得意とする他のドナーやビジネスとして関心のある大学に大いに参入しハードウエアを活用してほしいと考えている。たとえば、すでにオーストラリア国立大学が、研修コースの売り込みにきている。JICAは遠隔教育に関心があると聞いており、良いことだと思うし、ハードでも、ソフトでも活動の機会は広いと思う。

  しかし、同時に、遠隔教育を使って研修を行うということは、自分たちの研修事業の「売り」のある部分(これまでの研修事業の主体であった、はるばる日本に招くこと)を切り捨てることにも繋がるので、新しいアプローチを考える必要がある。また、日本では大学や各省庁の研究所が独立法人化してきているが、これらの機関が独自の判断をできるようになれば、現場のニーズの変化に対応した研修のコースを提供するなど、潜在的によりよいパートナーになれるのではないかという気がする。IT化はいろいろな仕事が変わるチャンスである。

  1. 席上出された主な意見

(1)「顔が見える援助」について

(2)メディアについて

(3)専門家派遣・研修員受け入れについて

(4)国別援助計画について

(5)その他

(以上)