特別寄稿

ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズに見る
アメリカの対外援助
(2001年10月-2002年9月)
副題 「ミレニアム・チャレンジ・アカウントの系譜」

アメリカ事務所長(米田博)報告
(平成15年2月)

【ポイント】

T アフガニスタン復興のための国際会議(10-1月)  
アフガニスタンのために国際会議が、ワシントン、ボン、東京と短期間に次々に行われた    が、なぜ急がなければならなかったのか。それは、先進各国の協力が不可欠であり、援助  の枠組み、とくに金額をコミットさせて、つなぎ止めておくことが必要だったからだ。アメリカは、軍事介入はアメリカの役割だが、復興開発や平和維持は日本やドイツに担って欲しいという。

U 勝利のドーハ会議(11月)  
アメリカのアフガニスタンへの軍事介入の最中で、9・11以後に行われたもっとも大きな会議である。貧困削減は自由貿易システムをつくり機能させることで進んでいくという考えは以前にもあったが、会議により、この考えが加速する。アメリカ代表がこれを率先する。

V 援助額倍増への大合唱(11-2月)  
9・11直後から、政府開発援助を「倍増」させるよう、著名な学者、国連事務総長、世銀総裁、イギリス財務長官などが声を上げる。第二次大戦後実施したマーシャル・プランと並ぶ援助を行うべきとする。彼らは、援助額の倍増がなければ、ミレニアム・ディベロップメント・ゴールは達成できないとまでいう。

W モンテンレー会議に臨む(3月)  
モンテレー会議の直前からアメリカの政府開発援助の額がどこまで伸びるのか、国内外か  ら注目されていた。この援助額倍増コールの中で、ブッシュ政権がどのようにして期待に応えようとするのか、あるいは、どのようにして援助額倍増をたくみに回避するのか、苦心する状況を再考する。それは、ミレニアム・チャレンジ・アカウントができてきた経緯でもある。

X 自由貿易システム(4-6月)  貿易自由化が強く叫ばれるようになる。貿易も援助も必要だと、スティグリッツが説明す  る。しかし、貿易自由化には、途上国にもたらす不利益がある。輸入大国アメリカの限界  もある。

Y オニール、アフリカをいく(5-6月)  
アメリカの財務長官がロック歌手のボノとアフリカの開発現場を視察する。財界出身のオニールは、援助には不慣れだが鋭い質問を浴びせる。飲料水と小学校、途上国の医療事情について新たな発見があったのではないか。

Z 関心の高まるバルセロナ会議(6-7月)  
アフリカのエイズにアメリカ人が強く関心を持っており、アメリカの対外援助のひとつに大きな位置を占める。

[ ラテン・アメリカの経済危機(8月)  
アルゼンチンの危機からウルグアイとブラジルに伝染する危機が訪れる。やはり、アメリカが緊急援助に乗り出す。アメリカが動かなければ、国際通貨基金も動けない。

\ ワシントン・コンセンサス(9月)  
ワシントン・コンセンサスとは何か。国際通貨基金・世界銀行の年次総会にデモ隊が多くでるが、なぜ反対するのかを通じて意味を考える。

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【目次】

【報告のポイント】
【報告本文】

はじめに

T アフガニスタン復興のための国際会議(10-1月)    
軍事介入、ワシントン会議、東京会議

U 勝利のドーハ会議(11月)    
貧困削減は自由貿易で、合意のあらすじ

V 援助額倍増への大合唱(11-2月)
援助増額へのかけ声、新マーシャル・プランの提唱    
内外の声、反対の声

W モンテンレー会議に臨む(3月)     
世銀と国際通貨基金、ミレニアム・チャレンジ・アカウント    
モンテレー会議の趣旨、ハイライトはアメリカ    
増額分は改革の国にしかいかない

X 自由貿易システム(4-6月)
強まる貿易自由化の議論、スティグリッツの説明、アフリカの不満    
自由貿易の問題、輸入大国アメリカ

Y オニール、アフリカをいく(5-6月) 
奇妙な二人組、援助資金はどこへいったのか、成果の出る援助

Z 関心の高まるバルセロナ会議(6-7月)

[ ラテン・アメリカの経済危機(8月)
アルゼンチンの危機、ウルグアイとブラジル

\ ワシントン・コンセンサス(9月)

おわりに

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