ワシントンDC開発フォーラム
DC Development Forum


国際開発ジャーナル2002年1月号寄稿

ワシントン便り 
「金融危機と多国籍開発銀行:ブラジルの流動性危機と緊急融資プログラム」

世界銀行財務局コーポレートファイナンス上級財務官
松本千賀子(2001年10月まで米州開発銀行財務局財務政策課上級財務官)

 多国籍開発銀行での財務政策とは何をするのかとは、しばしば尋ねられる問いである。米州開発銀行(以下、米州開銀)の財務政策課は財務局内に属し米州開銀の銀行経営を財務の面から支える機能を果たしている。米州開銀の外部環境、内部要因は常に変化しているが、銀行経営者はその変化に応じて経営政策を変更してゆかなければならない。財務政策課はそのような時に財務面から既存の枠組みを見直し新しい枠組みや戦略を作り出すことを主な役割としている。具体的には銀行の収益性の見直し、資本適正率の管理、流動性の管理、リスクマネージメントの大枠の設定などを行う。

  それに加えて新しいイニシアティブができるときには財務面での新しいフレームワークを創設しなければならない。重債務最貧国向け債務削減イニシャチブ(Highly Indebted Poor Countries Initiative)や98、99年の金融危機当時の緊急融資プログラム等がその例である。これらの中でも緊急融資プログラムは、開発銀行特有の財務政策のあり方が浮き彫りになり、さまざまな政治経済または哲学的議論がされた点で興味深い業務であった。今回は主に財務面から当時の緊急融資プログラムに関するオペレーションの要点、議論等をまとめてみたい。

ブラジルへの緊急融資プログラム
  98年夏、アジア、ロシアに次いでブラジルが危ないということが噂されはじめ、8月にはブラジルの外貨準備高が日毎に低減してゆく毎日に関係当事者は息を飲む思いであった。ブラジルの流動性危機に対して、アメリカと国際通貨基金(IMF)が中心となり主要先進国、そして多国籍開発銀行では世界銀行(以下、世銀)と米州開銀が参加し、総額410億ドルの緊急融資パッケージが準備された。金額としては米州開銀は世銀と同様に45億ドルを供給し、緊急融資のプライシングに関してはライボーベースで400ベイシスポイント(BP)をプレミアムとして上乗せする。世銀、米州開銀間でのプライスアービトレイジを避けるために両行とも同じプライシングをすることが決定された。

金融危機に対応しての財務分析・政策
  このブラジルの流動性危機救済パッケージを創り上げる過程では、私たち財務政策課では時計をにらみながら多量の財務分析・シミュレーションを行い、さまざまな面からこの新しいプログラムの検討を行った。分析過程でまず第一に要求されるのは、極端に短期間のうちに開発銀行としてどれだけの量の流動性(liquidity)を供給するキャパシティーがあるのか、そしてどれだけのスピードで供給できるのか、という財務分析である。また資金供給のスピード、量に加えどのようなプライシングをするか、多様なシナリオが考えられる。そして次には、それぞれのシナリオに対して短期、中長期的に銀行の財務状況および収益性などにどのようなインパクトがあるのかを分析しなければならない。さらに、危機に瀕している開発途上国への融資を緊急にかつかなりの規模で増額することは、開発銀行にとっては、それだけ高いリスクを負わなければならないということである。リスクマネージメントには常にコストがかかるわけで、最終的にはそのコストを誰が負担するのかが大きな問題となる。よってコスト分配のシナリオ分析もさまざまな角度から行うことになる。

  開発銀行がこれらの財務分析を行い最終的な決定を行う際に商業銀行と異なるところは、開発へのインパクトを最大化することを目的としながら、かつ銀行の財務状況へのネガティブなインパクトを最小限にするという相反する条件のもとで銀行経営をしなければならない点であろう。開発銀行の使命からするとブラジルに最大量の資金をできる限りの低金利で供給することが要求される。

  他方、銀行自身の健全な存続を脅かさない上でどこまで銀行の財務状況に負荷がかけられるのか、そのオプティマルポイントを探すのが財務分析のポイントとなる。そして更に重要なのはコスト分配分析である。誰がそのコストを負担するのかを決定するのは、最終的には財務の問題ではなく政治的な問題である。結局米州開銀の場合は、緊急融資のコストはすべての借り手国に対して既存の変動性金利ローンの金利を3年間引き上げることによってリスクマネージメントにかかるコストの内部吸収を行った。

資本市場・投資家にむけてのパーセプションマネージメント
  98年から99年にかけて米州開銀が行った緊急融資プログラムは、ブラジル以外の国にも適用された。結果として銀行の資本適正率を示すローン・リザーブ率は3年間政策で定められた下限を下回ることとなった。これは緊急融資を行う前の財務分析でも明確に予想できていたところであるが、3年後は急速なピッチで回復することが予測されていたので米州開銀としては、マネージできうるリスクとして緊急融資のパッケージを承認する決断を行った。しかしそこで懸念されたのは、資本市場の投資家および格付け機関がどのように解釈評価し、反応するかという点であった。米州開銀では、融資資金のかなりの部分を資本市場における米州開銀債の起債による資金調達によってまかなっている。米州開銀の格付けは最高のAAAであり長年それを維持することにより低金利での資金調達が可能となっている。もしも当時の米州開銀の緊急融資オペレーションの決断が格付け機関および投資家から、米州開銀の財務状況を悪化させるものとして否定的に受け止められれば、格下げとそれに伴う資金調達金利の上昇という最悪の状況も予想されないではなかった。結果的には、米州開銀の緊急融資は地域内の途上国経済を安定化させ開発に貢献する、よって開発銀行としての価値を高めるオペレーションであるとして、資本市場及び格付け機関からは予想以上の肯定的な評価が与えられた。市場の反応は流動的で予想が困難である。それ故に緊急融資プログラム実行に関しては、十分な財務分析を重ね入念にリスクマネージを考慮しなければならない。財務分析内容、将来の財務状況予想と緊急融資オペレーションの開発に対する意義を投資家・格付け機関に対して十分に説明することで、米州開銀の財務マネージメントの透明性、健全性を市場に伝えられたことは、市場からの良い評価を得る上で非常に重要な点であったと考えられる。

開発銀行によるBOP型融資
  次に、開発銀行が流動性の供給を本旨とした緊急融資を行なうことの是非を考えてみたい。アジアその他の地域での金融危機を経験した現在の世界状況からは、開発銀行が流動性供給用の融資を行うことは当然と考えられるかもしれないが、当時97、98年時点では開発銀行がこのような巨額の緊急融資を行うことは予想されておらず、開発銀行業務の一環であるという認識はなかった。98、99年のブラジル向けの緊急融資は流動性を供給することでブラジルの外貨準備高を防衛する性質の融資であり一般的に言われる国際収支(Balance of Payment、BOP)型の融資といえる。

  BOP型の融資は本来はIMFがなすべき融資であり中長期の経済社会開発インパクトを目的とした開発銀行の融資とは性格を異にする。それゆえに当時はワシントンを中心にして開発金融業界では、開発銀行がBOP型融資を行うことに対してかなり議論がなされた。反対論としては、流動性供給のための緊急融資は本来の開発銀行の使命からは外れるもので、近年境界線が不明瞭になっていると批判されるIMFと、世銀を始めとする開発銀行のオペレーションがより曖昧になるという意見があった。

  一方賛成論としては、BOP型融資は通常の融資プログラムの一環となっている政策融資の延長として理解されるという考え方。また、BOP型の緊急融資をしないことによって途上国の経済、金融、社会システムに多大な被害を及ぼすことが考えられ、そのような大規模な被害がおこれば、開発銀行が途上国の開発を目的にそれまで行ってきた中長期のインフラ型融資や、ソーシャルセクター・政策ベース融資の努力がすべて無駄になるという議論が特に強調して議論された。世銀・米州開銀も最終的にはこれらの賛成論を理論的な根拠に緊急融資のオぺレーションに踏み切ったのである。

  結果から見てブラジルに対して行った緊急融資オペレーションは成功であったと見られている。410億ドルの融資が発表さたことによってアメリカを始めとする先進国、国際金融機関がブラジル救済に対して強い意志とコミットメントがあることを市場に対して示すことができた。それにより投資家の信頼も徐々に回復し、ブラジルのデフォルトという最悪の状況も回避された。ブラジルは99年年頭に自国通貨のレアルを米ドルへのペッグ制から変動性に移行させ、経済も徐々に危機から脱出、回復へと向かってゆくことができた。また、そのことによって他の中南米・カリブ地域諸国への危機の波及も避けることができたといえよう。

  ブラジルを始めとする域内途上国への緊急融資オペレーションは、米州開銀の財務政策を担当する私達にとっては、前述の通り開発銀行の財務マネージメントの特性が浮き彫りにされた点で非常に興味深いものあった。またこれらのオペレーションが市場からどのように評価されるのかという点でも、資本市場と開発途上国の狭間に位置する開発銀行にとって、市場とのリンクの重要さと途上国に対する貢献の意味の大きさが改めて確認された機会でもあった。

  最後に、ブラジルを始めとしたほかの途上国への緊急融資によって流動性供給を目的とした融資の前例が作られたこととなり、特に途上国の中でも中進国から米州開銀の通常の融資プログラムに流動性向け融資を組み入れるべきであるという議論が出され、その是非が現在検討されつつある。流動性向け融資を恒常的なプログラムに入れることは、国際収支の調整ではなく開発を目的とする開発銀行の使命、しいては存在の哲学を根本から問い直す問題であり、米州開銀の理事会又は総部会がどのような決定を下すかによって、今後の米州開銀のあり方に大きく影響を与えると考えられる。このような新たな議論をもたらす結果となった点においても、プラジルへの緊急融資オペレーションはエポックメーキング(時代を定義する)重要なオペレーションであったといえよう。

* 本稿は筆者の個人的見解であり、米州開発および世界銀行の立場を述べたものではない。本稿の内用あるいは開発金融に対してご意見・質問などのある方は、以下までご連絡ください。
メールアドレス:cmatsumoto@worldbank.org

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